中東・アフリカの旅

2016年12月08日

頑張れ、キリン!

 
朝日新聞の今日(12月8日)の夕刊に、ショックな記事が載っていました。「国際自然保護連合(IUCN)が絶滅の恐れがある動植物を記載した『レッドリスト』の最新版を発表し、キリンが新たに絶滅危惧種になった」という記事です。

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同記事は「農業や鉱業開発で生息する場所の環境が破壊されたり密猟されたりして、アフリカに棲息するキリンが過去30年間で4割減少した」と伝えています。具体的な数字をあげると、1985年には推計で約15万〜約16万頭いたのが2015年には10万頭弱に。動物の中でも私は子供のころからキリン好きだったので、とてもショックです。

ご覧の写真は、2010年と2013年に2回にわたって南アフリカのサファリを取材したときのものです。ジャングルの中でほかの動物たちと楽しそうに暮らすキリンのショットを、いくつもカメラに収めました。対策を打たずにこのままいけば、キリンたちはいつか地球上からいなくなってしまうのでしょうか。

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カンボジア取材から帰国し、久しぶりにBlogの更新です。前回の更新から1カ月以上が過ぎてしまいました。まだしばらくは忙しい時間が続くので、今後もこんなペースでやっていきます。わが『雲の上の書斎』からは上野動物園が目と鼻の先なので、こんど散歩のついでに寄って、キリンたちの生き生きとした姿を撮ってそのうちレポートしようと思います。

S.Akimoto at 18:35|Permalink

2016年10月11日

世界最高気温

 
今年6月から半年の予定で中東クウェートに駐在している友人の日本人商社マンから「10月に入ってようやく過ごしやすくなった」と連絡が入りました。私は行ったことがありませんが、典型的な砂漠気候の同国は、5〜9月の夏場はとくに暑さが厳しいらしい。赴任した当初、彼は「焼けつくような熱風が湿気を運んできて、生きている心地がしないよ」と言っていました。気温が50度を超える日もあったそうです。

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そういえば今年7月だったか、クウェートで東半球の最高気温を更新したという報道があったような。スクラップを探すと、見つかりました。時事通信が配信したニュースで、7月21日に54.0度を観測したとあります。以前私もUAEのドバイで45度を体験し、ヘトヘトになりましたが、54度はその比ではありません。

記事によると、東半球には欧州やアジア、オセアニア、アフリカなどが含まれるそうです。過去にはチュニジアで55.0度を観測したという記録もあるみたいなのですが、古いデータで信頼性が疑問視されているのとことで、今回のクウェートの54.0度が東半球の最高記録になるらしい。ちなみに世界の最高気温は1913年7月10日に米カリフォルニア州デスバレーで観測された56.7度、日本では2013年8月12日に高知県四万十市で観測された41.0度が最高と記事にあります。

先週初めに取材先のベトナムから帰国すると、東京もすっかり季節が変わっていました。日本列島では間もなく、紅葉前線の南下が始まりそうです。

S.Akimoto at 14:48|Permalink

2014年12月25日

動物に癒された1年

 
2014年も、余すところあと6日となりました。この1年間の写真を整理していて思ったのは、動物に触れ合う機会が多かったなということ。そしてどの写真にも笑顔の自分がいることで、心を癒されている様子が伝わってきます。


3月に行ったオーストラリアのシドニーでは、郊外の大自然のなかで乗馬に熱中しました。約2時間をかかて森の中へ分け入っていった体験は、忘れられません。モーヴくんという名のあの11歳の牡馬、元気かなあ。またそう遠くない将来、会いに行きたいと思っています。その帰りには動物園にも寄り、コアラやカンガルー、ワニなどと遊びました。

6月のパラオでの一番の思い出は、湖に生息する2,000万匹のクラゲたちと泳いだこと。気味悪さと恐怖心から最初は嫌々だったものの、だんだんクラゲたちに心を奪われ、少しでも長くここで彼らといっしょにいたいという気持ちに変わっていったことを思い出します。11月のドバイでは、夜の砂漠でラクダに乗りました。ついでに、市内でラクダ肉のハンバーガーを食べたのは、余計な経験だったかも知れません(笑)。

そして12月のモーリシャスでは、ゾウガメやライオンを自分の手でなでました。つい最近のことなので、その感触はいまも手に残っています。facebookにもいくつかの写真をアップしましたが、どれも楽しい思い出で、2015年もまた忘れられない旅ができたらいいなと願っています。

S.Akimoto at 16:46|Permalink

2014年12月02日

パイナップルとモグラ

 
モーリシャスの人たちは本当に素朴です。ホテルやレストランで彼らと触れ合っていると、どれだけ心が開放されることか。それに私の大好物であるパイナップルが、いまが旬。日本で売られているのと比べると二回りほど小ぶりですが、味も濃く、フレッシュでおいしい。滞在中にたくさん食べて帰ろうと心に決めました。


驚いたのですが、パイナップルを食べるときに、こちらの人たちは果肉に塩と唐辛子を塗り込みます。「味が変わっちゃうじゃん!」と思ったのですが、そうすることで酸味の主張が薄まり、まろやかになるのだとか。みんながみんな同じ食べ方をするので、騙されたと思って私も試してみました。首都ポートルイスの市場を訪ねたときに、屋台のおばさんがビニール袋に入れたパイナップルに塩と唐辛子をまぶし、もみ込んでいたのを買ってみたのです〔写真〕。

ビニール袋を開いて恐る恐る口に入れてみると──これ、なかなかイケます! まずくないどころか、たしかに味がまろやかに。モーリシャスの塩と唐辛子は、日本のとは少し違うかもしれませんが、トライしてみればみなさんもきっとハマると思います。

さて、モーリシャスの旅も後半に入りました。東海岸の「コンスタンス・ル・プリンス・モーリス」から西海岸の「ディナロビン」にホテルを移しています。東海岸から西海岸へクルマで向かう途中、枝の先に何かをぶら下げた少年に出会いまた。降りて近づいてみると、大きなモグラです。食べるのだ、と彼は言いました。「家に帰ったら母さんに煮込んでもらうんだ。でっかいのが捕れたから、今夜はご馳走さ」と。自慢気に言って白い歯を見せる彼は、とても嬉しそです。

S.Akimoto at 23:50|Permalink

2014年11月30日

インド洋の貴婦人

 
ドバイを朝10時に発つエミレーツ航空EK703便で、モーリシャスに到着しました。空港からクルマで40分ほどの高級リゾート「コンスタンス・ル・プリンス・モーリス」に部屋をとり、週末をのんびり過ごしています。


季刊『航空旅行』の次号(Vol.12=2015年1月末発売)で予定している巻頭特集「エアバスA380で行く旅」の取材が佳境を迎えています。今回のエミレーツ航空はその3社目。ドバイ/成田線で運航していた同社のA380は、羽田線の開設でボーイング777に変更になり、いまは日本からA380に乗ることはできません。では、ドバイからのどの路線でエミレーツ航空のA380を取材しようか? いくつか候補に挙がったなかで最終的に決めたのが、モーリシャス線でした。

アフリカ・マダガスカルの東側に浮かぶモーリシャスは、日本からは遠いため、まだまだ馴染みが薄いかもしれません。しかし、ヨーロッパの人たちには大人気。「インド洋の貴婦人」と呼ばれ、多くの旅行者が訪れます。エミレーツ航空はドバイからモーリシャスへの便を、A380を使ってダブルデイリーで運航。私たちは午前の便を利用し、そのフライトを取材してきました。

モーリシャスを訪れるのは、私にとって今回が初めて。時間がゆっくり流れ、癒されています。ドバイの旅に続き、これからしばらくはfacebookなどでモーリシャスの旅の報告を続けます。

S.Akimoto at 23:03|Permalink

2014年11月27日

オールドドバイ

 
メトロの「レッドライン」から「グリーンライン」に乗り換え、午後4時前に「アル・ラス」という駅に着きました。地上に出ると、目の前を小さな船が何隻も行き交っています。地図で確認したら、私たちが立っているのは入江の北側。高層ビルた林立する「ニュードバイ」に対して、このあたりは「オールドドバイ」と呼ばれ、昔から商売の盛んな地区でした。


入り江沿いの通りから路地に入ると、さまざまな商店が肩を寄せ合うように密集して建ち並んでいます。布団屋にサンダル屋に絨毯屋に洋服屋。いまごろの時間になって店のシャッターを上げているのは、洋服屋のおやじさんでした。

「何、これから開店?」
「店は朝9時から開けてるよ。午後1時過ぎに閉めたんだ。いままで休憩してた」
「休憩って、3時間近くも休むんだ」
「お昼ごはんを食べてね。それから休む。いまの時期は涼しくなったからずっと開けている店をもあるけど、暑い季節は昼間に商売なんかやってられない。9割の店はお昼ねタイムさ」

洋服屋のあるエリアには、洋服屋ばかりが何百軒と並んでいます。そんなに競合して大丈夫なのか心配して聞くと、おやじさんは「同じものは売っていないから問題ないよ。素材も違うし、品物も違うから」と不敵な笑みを浮かべました。近隣のカタールやアブダビ、バーレーン、クウェートなどから買い付けに来るそうです。その先には靴を売る店が何軒も軒を連ね、右の路地を折れると帽子屋がずらり! しばらく歩くと、金のマーケットとして有名な「ゴールドスーク」に行き着きました。「24金買わない?」「ブレスレットを彼女のお土産にどう?」「見るだけでいいから寄ってって」──そんなふうに声をかけられながらの活気あるオールドドバイのそぞろ歩きも、楽しいものです。

S.Akimoto at 20:00|Permalink

2014年09月28日

4つの公共交通機関

 
市バスと路面電車と地下鉄とフェリー。昨日はその4つの公共交通機関を使って、イスタンブールを歩いてみました。簡単に利用できるのもあれば、使い方が難しくドキドキしながら乗ったのもあますが、すべてを制覇すると心はスッキリ。イスタンブール市民の仲間入りができた気分です。


宿泊している旧市街のホテルから、まずは市バスに乗ってブルーモスクやアヤソフィア聖堂などが集まる歴史地区へ。このバスの利用がいちばんハードルが高く、慣れないとどこへ連れていかれるのかわかりません。路線が入り組んでいて、しかも次の停留所を伝えてくれる車内アナウンスもない。あってもトルコ語なので、さっぱりわかりませんが。乗車時に運転手に行き先を告げて料金を払い、降りるときもこちらから声をかけて止まってもらう必要があります。幸い、みんなが降りる歴史地区がお目当てだったので、どうにかたどり着きました。

市バスさえクリアしてしまえば、あとは簡単です。旧市街からは路面電車(トラム)で移動〔写真はfacebookにアップ〕。路面電車は海外を歩くときは旅人の強い味方になります。乗り場はすぐに見つかるし、切符の買い方も難しくない。自転車に追い抜かれそうなスピードで走る電車にガタゴト揺られていると、街の景色も満喫できていい感じ。これで、オリエント急行のヨーロッパ側の始発点であるシルケジ駅の近くまで行きました。

シルケジ駅からは地下ホームに降り、地下鉄(メトロ)で海底トンネルをくぐってアジア側へ。アジア側で夕方まで過ごし、最後はボスポラス海峡をわたるフィリー〔写真〕に乗って、これで4つの公共交通機関の制覇が完了です。旧市街に戻ったときはもう夜で、地元の知人に予約しておいてもらったベリーダンス・ショーを楽しめる酒場に向かうため、そこから再び路面電車に乗り込みました。

S.Akimoto at 20:44|Permalink

2014年09月26日

庶民派グルメ

 
トルコ料理はフレンチ、中華と並ぶ「世界三大料理」のひとつに数えられています。けれど私が好きなのは、本格的なトルコ料理ではなく、街にあふれる庶民派グルメのほう。イスタンブールにはあちこちに安くておいしい屋台料理が出ていて、すでに何度も買い食いしてしまいました。


とくに大好きなのが、ひとつは先ほどfacebookにも写真をアップした「ミディエ・ドルマス」。ひと口サイズのムール貝で、貝の下に味付けされた炒めご飯が詰まっています。いわばムール貝のピラフ詰めで、レモンをたらして食べると、その美味しさは言葉になりません。以前来たときよりちょっと値上がりしていましたが、それでも4個で3トルコリラなので、日本円で150円程度。庶民派グルメの代表格と言えます。

もうひとつは、これもイスタンブールの街歩きに欠かせない「サバサンド」です。上に写真を掲載しましたが、塩味のきいたサバの開きを鉄板で焼き、それをレタスとタマネギといっしょにパンにはさんでシンプルにレモンを振りかけただけのトルコの名物料理。ガラタ橋を旧市街のほうに渡ったところに停泊している派手なポンポン船屋台で売っています。値段はひとつ6トルコリラだったので、だいたい300円。大勢の人たちが列をつくっていました。

イスタンブールを旅して、これまでミディエ・ドルマスとサバサンドは食べなかったことがありません。今回の取材旅行でも、帰国するまでにあと2、3回は買いにいきそうです。いや、3回じゃ足りないかな?

S.Akimoto at 12:39|Permalink

2014年09月25日

洞窟ホテルを拠点に

 
カッパドキアは本当に面白い。10年ぶりに訪れて、改めてそう思いました。クルマを走らせていると、あちこちで不思議な形をした岩に出会います。有名なのは、きのこの形をした「きのこ岩」やまるで巨大なラクダのオブジェのような「キャペルストーン」など。岩をくりぬいて造られた教会もあれば、奇岩の中で滞在できる洞窟ホテルもたくさんあります。


今回はその洞窟ホテルの一つに部屋をとり、そこを拠点に歩き続けました。冒頭に書いたように、私がカッパドキアに足を踏み入れたのは10年ぶりです。前回はミュンヘンで仕事をしていたとき、3日ほど現地で時間が空いたので、ドイツ人の友人に誘われ彼の旅行に同行。彼は4日間の休暇でトルコに滞在しましたが、私は1日だけつき合い、慌ただしい思いでミュンヘンに飛んで帰ったことを覚えています。しかしその1泊のショート・トリップが私の記憶に深く刻まれ、いつか再訪したいとずっと思っていました。

早朝の気球での上空散歩は悪天候で残念ながら中止になってしまったものの、主だった洞窟ホテルやレストラン、ワイナリーなどを時間の許すかぎり訪ね歩きました。クルマで移動した距離は1日で計300キロに。ホテルやワイナリーのオーナーたちもみんな快く迎えてくれ、いい交流ができたと思っています〔写真はカッパドキアの洞窟ホテルの最高峰といわれる「GAMIRASU CAVE HOTEL」で。部屋の様子はfacebookに写真をアップしました〕。

午前5時。近くのモスクから流れるアザーン(礼拝の呼びかけ)の音で、目が覚めました。昨夜遅くにイスタンブールに到着し、旧市街の外れにあるホテルにチェックイン。今日から3日間は、イスタンブールでの取材を進めます。

S.Akimoto at 12:00|Permalink

2013年12月08日

コサの人たちを思う

 
南アフリカ・東ケープ州のイーストロンドンを拠点にコサと呼ばれる民族の住む村々を取材したのは、今年の3月でした。観光地ではなく一般の人たちの暮らしを訪ねるので、無遠慮にずかずかと入っていくわけにはいきません。同行してもらった現地ガイドに、まずは村の長老との交渉を依頼。その結果、私の訪問に対して村の人たちから歓迎の意が示されました。


コサ族の人たちは、コサ語という独特の土着言語を話します。特徴は、口の中で大きく舌打ちするような破裂音。みんなコロコロ音をさせるので、最初は何だろうと思ったら、それがここの人たちの話し言葉でした。事前にガイドからレクチャーを受けたものの、日本人にはうまく真似できません。それでも「モロウ(おはよう)」と「エンコーシ(ありがとう)」という二つを暗記し、食事をご馳走になったときには「ンマンディ(おいしい)!」とお礼の気持ちを伝えようと頭に叩き込みます。そして実際にそれらの言葉を使ってみたら、年配の人も子どもたちも、みんな嬉しそうに私の手を取ってくれました。

村の人たちのコロコロという笑い声が、いまも耳から離れません。そんな彼らがいま、深い悲しみに包まれていると思うと、胸が締めつけられます。反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動の象徴となった南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が5日夜、家族や友人に看取られて95歳で永眠。彼もまた、コサの出身でした。

マンデラ氏の埋葬式は12月15日、彼が少年時代を過ごした東ケープ州のクヌで行われる予定です〔写真はヨハネスブルクのネルソン・マンデラ・スクエアに建つ元大統領の像。高さが6メートルもあります〕。

S.Akimoto at 17:05|Permalink

2013年10月29日

砂漠のラリー

 
朝10時、宿泊しているドーハ空港近くのホテル「オリックス・ロターナ」に1台の大型四輪駆動車が迎えにきました。ここから国道を南下し、サウジアラビアとの国境沿いに広がるインランド・シーを目指します。静寂につつまれた内海と息をのむような砂漠が織りなす絶景を抜きに、中東の旅は語れない。そんなことを以前から聞いていたので、一度は体験したいと思っていました。


出発して1時間ほどが過ぎたあたりで、人工的な都市ドーハから自然が造形した砂漠へと周囲の風景が一変します。砂丘の入り口までくるとカタール人ドライバーのガジーさんがクルマを止め、降りてタイヤの空気を抜き始めました。何をしてるの? 私の質問に「こうしないと砂にタイヤをとられてしまうんだ」とガジーさん。準備を終えると、そこから一気に砂漠に突入し、彼の巧みなドライビングテクニックが披露されます。ルート上には激しいコースとソフトなコースが交互に出現し、砂丘のエッジから直角に落ちる感覚はまさにスリス満点! 高低差が20メートルはありそうな斜面を全速で下るときには、声も出ませんでした。

いくつものアップダウンを繰り返しながら、やがてインランド・シーのまぶしく白いビーチに到着しました。遠浅の海はコバルトブルーに輝き、白い砂漠と私たちが乗ってきた四輪駆動車のほかは何も目に入りません。聞こえてくるのは風の音だけ。海辺の砂の上に張ったテントでバーベキューランチを食べ、海が砂漠に囲まれているという幻想的な風景に見とれながら、興奮した状態を少しずつ覚ましました。

さて、ドーハでの2日間の休暇も今日で終わり。明日からは仕事モードに切り替え、カタール航空のワンワールド加盟式典やドーハ国際空港の新しい取り組みなどの取材をしっかりと進めてきます。

S.Akimoto at 00:06|Permalink

2013年10月28日

カタールの二人の友

 
退屈な街だったよ。あの国に行ってもやることがない。カタールの旅を終えた人から、よくそんな感想を聞きます。現地の天然ガスプラントで技術指導する日本人エンジニアの取材で訪れた10年前を思い返しても、典型的なアラブの都市という印象のほかは記憶にありません。ですが、いまは違います。今日、半日かけて街を歩いてみて、その変貌ぶりに目をみはりました。


案内してくれたナジワが、いちいち足を止めては「撮影しなくていい?」と私にほほ笑みかけます。対岸に建ち並ぶライトアップされた高層ビル群〔写真〕。私が知る10年前のドーハと同じ街とは、とても思えません。世界3位の埋蔵量を誇る液化天然ガス(LNG)などの恵まれた天然資源を背景に、とくに2006年にアジア競技大会がカタールで開催されて以降はインフラが整備され、大規模なホテルや観光施設の新設・改修が進められてきました。

「ドーハはこれからまだまだ変わる」と、ナジワの横でサジャドもうなずきます。「私がイラクからドーハに移り住んだ1999年は、まだまったくといっていいほど何もなかった。ボスも10年ぶりの再訪なら、びっくりするのも無理はないよ」

新しい顔がある一方で、ドーハには古い顔もあります。日が暮れてからは、二人は私をアラブらしい雰囲気がただようスーク・ワキーフに連れていってくれました。ここは夜10時を過ぎても、人の流れが絶えません。いまからfacebookに、スークの様子と二人の友人の写真を載せます。サジャドおすすめのイラク料理レストランで撮りました。写真を見てもわかるように、サジャドはかなりのおっさんです。顔もごつい(失礼!)。なのに大きな声で「ボス」なんて呼ばれると、私が周囲からヘンな目で見られそう。

S.Akimoto at 07:34|Permalink

2013年10月26日

ドーハ再訪

 
中東カタールの新聞に以前、私は顔写真つきで載ったことがあります〔写真〕。サジャドという同国在住の記者から「ボスのことを書いておいたよ」とメールが来て、知りました。え、私のことを? なに? なにを書いたの? 焦って問い詰めても、彼からは「まあまあまあ」とはぐらかすような返事がくるだけ。そのうちに私も忘れてしまったのですが──。


サジャドとは、2012年3月にトルコ航空の本社イベントの取材で訪れたイスタンブールで会いました。空港の整備ハンガーで同社CEOのテメル・コティル氏と私が立ち話をしているのを見て、彼は私に「インタビューをさせてほしい」と言ってきたのです。インタビューされた内容は詳しく覚えていませんが、そのとき以来彼は私を「ボス」と言って慕ってくれ、取材の翌日は同じカタールから来ていたナジワという女性の雑誌編集者と3人でイスタンブールの旧市街を歩きました。

サジャドとナジワからはその後もときどき連絡が届きます。近況報告のあとには、彼らの居住地であるカタールの首都ドーハにもぜ来てほしいという親切な言葉が添えられて。ドーハは10年ほど前に一度仕事で訪れて以来、なかなか行く機会がありませんでしたが、ようやく再訪が実現します。今夜のカタール航空QR805便で、成田からドーハへ。渡航の目的は29日(火)に開催されるカタール航空のワンワールド加盟式典の取材ですが、サジャドとナジワに行くことを伝えたら歓迎の返事がきたので、早めに飛んで二人に会うことにしました。

カタールは2022年のサッカーW杯の開催地に決定して以降、各地でインフラ投資が加速しています。首都ドーハもこの何年かですっかり様変わりしたと聞きました。二人に案内されながらの街歩きが楽しみです。いいえ、もっと楽しみなのは、サジャドに直接質問できること──「おまえ、あのとき新聞に何を書いたんだ?」と。

S.Akimoto at 16:42|Permalink

2013年06月29日

ある女流写真家

 
今年3月中旬に訪ねた南アフリカのローカルな村々での体験をもとに、5月には誠Styleの連載『“飛行機と空と旅”の話』で同国観光局の責任者との対談を実施。そして今月は産経新聞社の日刊タブロイド紙『SANKEI EXPRESS』の「ZOOM」というコーナーで、“異国で出会った人々”をテーマに2回に分けて寄稿しました。


3月にその取材を進めていたとき、私は現地で一人の日本人女性に出会いました。コサ族の集落を見下ろす高台に立って、彼女は長いレンズを付けたキャノンを手に持ち、肩からは黒いカメラバッグを提げています(そのときの写真はfacebookで)。被写体を見つめる視線やレンズを向ける仕草で、すぐにプロだとわかりました。

東海林美紀(とうかいりん・みき)。1984年生まれの29歳。「アフリカを中心テーマに、主に女性たちの撮影取材を続けています」という彼女のアフリカとの出会いは、JICAのボランティアに参加した2007年3月でした。それから2年間、ニジェールの現地NGOと診療所に勤務し、HIV(エイズ)対策に従事。本格的に写真を撮り始めたのはその頃で、現在は写真撮影のほか音楽やファッションなどアフリカ文化の発信やイベントのプロデュース、大学・高校などでの講演といった幅広い活動に意欲的に取り組んでいます。

南アフリカでは数日間、私は彼女といっしょに地方の村々を訪ね歩き、アフリカに関する多くの情報を彼女から得たことを思い出します。その彼女と昨夜、3カ月半ぶりに再会を果たしました。新宿のヒルトン東京で開催された「南アフリカ・ワークショップ2013」の夜のカクテルパーティでのことです〔写真〕。私は夕方からテレビ東京で番組の収録があったため、少し遅れて行くと、うしろからトントンと肩を叩く人が! 振り向くと、南ア産の赤ワインのグラスを手に彼女がにこにこ笑って立っていました。パーティ終了までずっと話しましたが、3カ月半のブランクを埋めるには時間が足りません。その後は新宿駅近くの居酒屋へ場所を移し、深夜まで楽しい酒を酌み交わしました。

S.Akimoto at 15:23|Permalink

2013年04月19日

南アの旅の魅力

 
南アフリカでの10日間におよぶ取材旅行から帰国して、ちょうど1カ月。目を閉じると、ローカルな村々で私を迎えてくれた人たちの人懐こい表情がいまも脳裏に浮かんできます。今回は都市部はいっさい歩いていませんが、南アというのはじつにさまざまな顔を持つ国だと実感しました。


上の写真は、2010年に旅したときにヨハネスブルグ郊外にあるレセディ文化村で撮影したものです。敷地内にはいくつもの部族の伝統的な集落が再現され、それぞれの生活様式を垣間見ることができます。ショッピングゾーンにはこんなふうに、たくさんの民芸品が並んでいました。またfacebookに写真をアップしましたが、政治の中心を担うプレトリアを訪ねると、多くの歴史ある建造物にも出会えます。

さて、そんな南アへの日本からの渡航者数が2012年は過去最多に──という発表が先日ありました。まだ11月までの暫定的な統計ではあるものの、2012年の1〜11月に南アを訪れた日本人は前年の同じ時期に比べて31.5%増え、3万2,017人に。間もなく年間の集計も終わるとのことですが、12月の数字を待たずしてこれまでの年間最多記録を更新しています。

これを受けて、南アフリカ観光局のアジア太平洋地域リージョナル・マネージャーであるブラッドリ―・ブラウワー氏が急きょ来日しました。ブラウワー氏は、同地域でのプロモーション活動や、南ア政府による観光拡大計画の推進役として力を発揮してきた人物です。4月19日(金)の今日、私は彼と面会し、1時間ほど対談の時間を持つことになりました。

日本から南アへの旅行者が増えている要因は? 日本以外で伸びているマーケットは? 今後訴えていきたい南アの新たな魅力は? そしてブラウワー氏自身の旅への思いや、忘れられない出会い、心に残っているエピソードは? 私たち日本人にとって南アは間違いなくこれからの「旅」の重要なキーワードになると思いますので、いろいろな角度から意見を交換してみるつもりです。

S.Akimoto at 00:17|Permalink

2013年04月04日

韓国KBSテレビ

 
先日終えた10日間の南アフリカの旅の途中、東ケープ州で訪ねたコサ族の村で、韓国のKBSテレビの人たちに会いました。KBSは日本のNHKと同じ公共の放送局で、彼らは世界のさまざまな文化や人々の生活を伝える「The World at your Door」という番組の制作班。コサ族の素顔と暮らしを紹介するための取材に、プロデューサーとカメラマン、女性キャスターの3人で来ていました。


私は彼らと数日間、現地で行動を共にしました。写真の女性が、番組でキャスターを務めるキム・ムンジュさんです。彼女の本職は翻訳家だそうで、流ちょうな英語を操り、現在は旅行誌『ロンリープラネット』の韓国語版への翻訳などを手がけているとのこと。また将来は、これまでの経験を生かし、ライター(文筆家)として世界をレポートしたり自ら情報を発信する仕事に就きたいと話していました。

そのためか、作家として活動している私にキムさんはとても興味をもった様子で、コサ族の人たちを取材する合間にいろいろと質問してきます。作家になったきっかけは? どんなステップを踏んで今日まできたか? 著作の数は? 物を書くうえで一番大切なことは? 今後はどんなものを書いていく予定か? 私が一つひとつに答えると、彼女はそのつどメモを取りながら、とても熱心に話に聞き入っています。そしてそんな私たちに、同行のカメラマンはずっとビデオカメラを向けていました。

帰国後、プロデューサーから私に連絡がありました。「今回収録した内容は、4月の後半から3回に分けてKBSの私たちの番組でオンエアされます。ミスター・アキモトが映っているシーンもたくさんあるのですが、編集する際にそれらのシーンも盛り込んでかまいませんか?」と。え、韓国のテレビに私が? ちょっと驚きました。どんなふうに使われるのだろう。まあ、日本の人たちが観ることはないので、恥ずかしがることもないか。そう思って「いいですよ」と伝えました。ついに私、韓流デビューです。うっしっし!

S.Akimoto at 00:04|Permalink

2013年03月26日

高翼プロペラ機

 
デハビランド・カナダが開発したモデルをベースにボンバルディアが受け継いで進化させたDHC-8は、旅客機では珍しいボディの上部に翼をつけた“高翼”のプロペラ機です。その基本型がQ100と呼ばれるタイプで、日本ではローカルな都市と都市や離島を結ぶ路線などで活躍してきました。


同機種を使用している1社が沖縄の琉球エアーコミューターです。同社は、たとえば那覇から350キロほど東の太平洋上で距離にしてわずか12キロしか離れていない南大東島と北大東島を行き来する路線などでこのDHC-8-Q100を運航。これは“日本一距離の短い定期便”として知られています。

DHC-8にはこのQ100のほか、ボディの長さが異なるQ300/400などのタイプがあります。基本型のQ100は全長22.3メートルで39人乗り。Q300はQ100のボディを3.4メートル延長して50人乗りに、Q400はそれよりもさらに7.1メートル長いDHC-8シリーズの最長タイプで74人乗りです。いまからfacebookに写真をアップしますが、先週終えた南アフリカ取材で私は久しぶりにQ400でのフライトを満喫しました。

運航していたのは、南アフリカ航空の国内ローカル路線を担うSAエクスプレスです。ヨハネスブルグからクルマで6、7時間かけてたどり着いたクルーガー国立公園に近いホエドスプルート空港から、約1時間のフライトで再びヨハネスブルグに戻りました。

DHC-8-Q400は高翼機のためボディの地上高が低く、空港での乗り降りもラクラク。また実際に利用してみると、プロペラ機でありながら静かで快適です。シリーズ名のQは「Quiet」の頭文字で、設計に際しては騒音と振動を抑制する技術を駆使して居住性を向上させました。窓よりも高い位置に翼があるので、上の写真のように視界が遮られることもありません。一般のジェット機に比べて半分程度の低高度からアフリカ大陸の景観を存分に楽しみました。

S.Akimoto at 01:36|Permalink

2013年03月17日

イーストロンドン

 
ケープタウンに近いインド洋に面した街、イーストロンドンに到着しました。南アフリカでも独特な生活習慣や文化を保ちつづけるコーザ族のいくつかの村を訪ねるのが目的です。海沿い建つご覧のロッジに宿泊しています。


波の音を聞きながら快適な時間を過ごしていますが、相変わらずネットにつながる環境にはありません。iPhoneで苦労しながら文章を書いています。

昨日、まずはイーストロンドンから5キロほど北上した先に広がる「ワイルドコースト」と呼ばれる海岸線を撮影するため、ロッジのクルマを頼んで出かけました。旅も終盤に差し掛かり、やや疲れがたまっています。が、途中でトイレを借りるために立ち寄った別のロッジで出てきた従業員たちに「ここを訪れるはじめての日本人ですよ」と歓迎されて、テンションが戻りました。

現在宿泊しているロッジで2泊したあと、最後の夜はコーザ族の村に泊めてもらう予定です。ネットは間違いなくつながらないので、今回の旅の詳しい報告はすべて帰国後になりますが、ご了承ください。

S.Akimoto at 13:25|Permalink

2013年03月11日

新調スーツケース

 
目の前でいま、ご覧の新しいスーツケースが私と旅に出るのを待っています。少し前に、成田空港の第1ターミナルに到着しました。ずっと愛用してきた中型サイズのスーツケースを昨年10月のカリブ海取材で壊してしまい、その後は3泊程度までOKの布製キャリーバックで代用してきたのですが、今日これから始める旅は長丁場なので小型バッグでは荷物が入りきれません。後輩に「適当なのを頼む」と言ってお金をわたし、買ってきてもらいました。


そうして届いたのが、このスーツケースです。え、十字架のデザイン? 私がときどきクロスのペンダントがついたネックレスを首からぶら下げているのを見て、選んだのかなと思いました。すると後輩は「十字架じゃありません。このデザインのモチーフはスウェーデン国旗ですよ!」と私を一蹴。北欧スウェーデンの家具ブランドの製品だそうです。でも付属のタグは「Made in China」となっているけど。まあ、いいか(笑)。

グレーと黒のシックな色づかいも落ち着いていてお洒落だと思いますが、到着地でターンテーブルに戻ってきたときに少し目立ったほうがいいので、表側に航空写真家のチャーリィ古庄氏がデザインした「NRT BASE(成田ベース)」と「HND BASE(羽田ベース)」の二つのステッカーを並べて貼りました。

新調したスーツケースの容量は72リットルと大きめで、6〜7泊程度の旅にジャストフィットするサイズ。今回は10日間の日程ですが、私の荷物はいつも少なめなので、ちょうど収まりました。香港経由でいまから向かう先は、南アフリカ共和国です。香港まで5時間10分、そこから南アのヨハネスブルグまで13時間25分──1時間ちょっとの乗り継ぎ時間を含め、1万3,000キロの距離を20時間近くかけて移動します。じつはいま、昨年秋から執筆に取り組んでいる作品(本)が、壁に直面して止まってしまっている状態です。出版の話をいただいてから、そろそろ1年。来月(4月)中には何としてでも完全脱稿したいので、細部の構想をもう一度しっかり練り直すのに、機内で過ごす20時間は絶好の機会かも知れません。行ってきます!

S.Akimoto at 16:21|Permalink

2012年03月19日

幸せな“街猫”たち

 
犬か猫かと聞かれたら、私は間違いなく「猫派」です。過去に犬を飼ったのは一匹だけですが、猫は東京・下町の私の実家に代々何匹も住みつき、いつも大切な家族の一員でした。そんな猫派の私にとって、イスタンブールはとても楽しい街です。なにせ、どこを歩いても街じゅうが猫だらけなのですから。


観光地の広場で、土産屋の軒先で、坂道を上った住宅地で──猫に出会わないことはまずありません。野良猫かな? それとも誰かの飼い猫? どっちだろうと思って焼き栗を売っていた屋台のおじさんに訊ねてみたら、そのどっちでもありませんでした。どこからかやってきて、近所の人たちみんなに可愛がられている「街猫」なのだそうです。

猫が近寄ってくると、イスタンブールの人たちは邪険に追い払ったりしません。ねだられると自分のパンを分けてやり、観光客が猫にカメラを向けると、嬉しそうにそれを眺めています。私が海沿いのカフェでお茶を飲んでいたら、猫が一匹店に入ってきて、ウエイターの足もとにまとわりつきました。仕事中はさすがにダメだろうと思って見ていたら、ウエイターは隣のテーブルで給仕しながらそっとクツを脱ぎ、足先で猫のお腹をこちょこちょ。テーブルの下には、ペットボトルの底の部分を切り取ってお皿にした、猫用の飲み水が置かれていました。

イスタンブールの猫たちは、本当に幸せそう。お腹をすかせてゴミ箱を漁る必要もないから、どの猫もみんな小ぎれいです。私もお茶に添えられてきたビスケットを小さくちぎって手のひらに乗せ、舌先で「チュッ、チュッ」と招き寄せようしましたが、猫は見向きもしません。ウエイターが笑って首を振り、私に言いました。

「ちがうちがう。イスタンブールではこうやるのさ」

彼は唇で「ピシ、ピシ、ピシ」と声を出します。すると猫はすぐ反応して寄ってきました。この街で猫に話しかけるには、トルコ語が必須のようです。その後は、猫を見かけるたびに「ピシ、ピシ、ピシ」と声をかけ、たくさんの街猫と友だちになりました。こんなことを覚え、また少しこの街の“通”になれた気がしています。

S.Akimoto at 00:31|Permalink

2011年01月31日

エジプト情勢

 
エジプトから600人近い日本人旅行者らが出国できずにいると聞いて、心配していました。今朝入った情報では、そのうちの半数余りはエジプト航空の成田行きで現地を発ったそうですが、それでもまだ多くの人たちがカイロ国際空港に足止めされている状況です。


エジプト情勢、気になります。北アフリカ・チュニジアの独裁体制を打倒した市民デモの動きが、人口8,000万人を抱える中東最大のこの国にも飛び火しました。アラブの民衆革命の波は、おそらくもう誰も止められません。

アフリカや中東は「怖い」というイメージがありますが、エジプトとチュニジアはわりと治安のいい国でした。ある外国の調査機関による国別の治安ランキング調査では、エジプトは日本より上位にランクされていた記憶もあります〔写真は2回目のエジプト旅行で撮影〕。観光収入が国の重要な経済基盤になっているため、外国人旅行者に対する窃盗などの犯罪を厳重に取り締まってきた結果でしょうが、これは強権政治で市民を抑圧してきた事実の裏返しなのかも知れません。

チャプリンはかつて、映画『独裁者』の中で「飛行機とラジオは私たちの距離を縮めた。民主主義の旗の下で手をつなごう!」と演説しました。その「ラジオ」がいまはインターネットに変わり、世界の人々が瞬時につながる時代になっています。情報の共有化と同時に、これからはチャプリンの言うもう一つの「飛行機」も、ますます重要な役割をはたしていってもらわなければなりません。平和のためには、やはり人と人とが自由に行き来して直接ふれあうことも大切ですから。

S.Akimoto at 10:03|Permalink

2010年11月29日

微笑みの国のエアライン

 
タイの人たちは物腰がとてもやわらかで、人にやさしく接してくれます。タイ国際航空を利用するとき、私はいつもそう感じてきました。いいえ、これは客室乗務員と乗客という関係に限ったことではありません。バンコクベースで働く日本人クルーの一人は、以前のインタビィーで私にこんなことを言っていました。


「クルー同士でも、彼女たちのやさしさは日々感じます。仕事で何かミスをすると、必ず誰かが寄ってきて『気にしないで、大丈夫だから』と声をかけてくれたり。信頼できる仲間に囲まれているなって思いました。タイを旅して、タイの人たちのそんなやさしさに接し、この人たちといっしょに働きたいと思うようになったという人も少なくありません」

今年9月末から10月初めにかけて訪ねた南アフリカ共和国へは、いくつかあるルートの中から、私はタイ国際航空のバンコク経由便を選びました。その取材報告が、『誠Style』で連載中の『“飛行機と空と旅”の話』で本日より掲載になっています。タイトルは「タイ国際航空で行く南ア・サファリの旅」。前・後編の2回に分けてのレポートで、今日アップされた前編ではタイ国際航空のフライトルポ〔写真〕を中心に、日本から約20時間かけて到着したヨハネスブルグでの初日の様子までを書きました。

今週金曜日(12月3日)にアップ予定の後編では、サファリ取材の詳しいレポートをお届けします。現地で出会ったたくさんの動物たちの写真を掲載していますので、こちらもどうぞお楽しみに。

≫≫≫「タイ国際航空で行く南ア・サファリの旅(前編)
≫≫≫「タイ国際航空で行く南ア・サファリの旅(後編)

S.Akimoto at 08:57|Permalink

2010年10月25日

世界一のコレクター

 
ご覧のように、とにかくものすごい数のモデルプレーンなんです。ここはトルコ・イスタンブール国際空港でグランドハンドリング業務を仕切っている会社のオフィスの一室。先々週、取材でイスタンブールに滞在していた際に、この会社のオーナーであるゴーカン・サリゴルさんが招待してくれました。


彼が集めたモデルプレーンはおよそ3,000機。まさに世界一のコレクターといっていいでしょう。写真に私と写っているのは、ほんの一部に過ぎません。あちこちの部屋中に飾ってあります。それぞれの機体には世界のエアラインのロゴマークが入っていて、機種も最新型からすでに退役して姿を消してしまった懐かしいものまで。これだけ集めるのに、いったい何年の歳月とどれくらいのお金を使っているのか?

サリゴルさんは航空写真家としての腕もプロ並みで、日本の各地の空港にも撮影に来たと言っていました。そのときに、今回の取材の同行者であるチャーリィ古庄氏とも知り合いになったそうです。この日も、チャーリィ氏を通じて招待という運びになりました。

私が手にしているのはトルコの航空史をつづった写真集で、これもサリゴルさんが出版したものです。彼のオフィスの書庫には、航空機やエアラインに関する世界中の書籍がずらりと並んでいました。仕事も趣味も、とにかくヒコーキだらけ。あ、そういえば彼は、私の著書も蔵書コレクションに加えたいと言ってくれたんだっけ。いま思い出しました。さっそく何冊かを小包みにまとめて、イスタンブールに送らないと!

S.Akimoto at 23:28|Permalink

2010年10月02日

南アの子供たち

 
今回の旅の途中、たくさんの子供たちに出会いました。ヨハネスブルグに到着した初日には、ネルソン・マンデラ・スクエアのあるサントンに向かうハウトレイン(Gautrain)の車内で、何組かの家族でいっしょに乗っていた小学生たちに。「これ、新しい電車なんだよ」と教えてくれたのは年長の男の子です。彼が言うように、ハウトレインは2010年のサッカーW杯の開催に合わせて建設されたもので、自分たちの国の新しい鉄道が子供たちはとても誇らしげでした。


行政の中心地であるプレトリアでは、学校帰りの中学生のグループに遭遇。屋台でアイスクリームを買っていた3人組にカメラを向けると、あちこちから「ぼくも撮ってよ」「私も」とみんな元気に集まってきます。またクルーガー国立公園でのサファリ取材でも、先生に引率された小学校1、2年生くらいの子供たちと途中の休憩ポイントで小さな交流を持ちました〔写真〕。

私たちアジア系の顔は地方の子供たちには珍しいようで、最初は遠くからじっと見つめています。しかしこちらから手を振ると少しずつ慣れてきて、笑ったり、手を振り返してくる子も。近寄って話しかけると、そのうちの一人がはにかみながら答えてくれました。

「どこから来たの?」
「学校から」
「それはわかるよ。先生もいっしょだし。じゃあ、ここに何をしに来たの?」
「エヘヘ。わからない」
「わからない? 野生の動物たちを観察しに来たんでしょ」
「わからないよ。ギャハハハハ」

クルーガー国立公園でのサファリ取材を無事に終え、先ほど、再びヨハネスブルグに戻りました。ホテルの部屋でいま、彼らの笑顔を思い浮かべながらこの文章を書き進めています。次にこの国を訪れるのは、いつになるだろう。そのとき、あの子たちはいくつになっているかな? アパルトヘイトの暗い歴史に幕を閉じ、試行錯誤の中で確実に前進してきた南アフリカ共和国。今年のサッカーW杯開催を経て、この国の一人ひとりが大きな自信を手にしているような印象を受けました。旅で出会った子供たちが大人になってさらに時代を進め、どんな未来を築いていくのか──いまからとても楽しみな気がしています。

S.Akimoto at 13:02|Permalink

2010年09月30日

ゾウだぞぉ〜!

 
いきなりベタな駄洒落のタイトルで、すみません。今日一日で数えきれないほどの動物たちに遭遇し、はしゃぎたい気分でいっぱいなのです。たとえば下の写真──こんなに間近で野生のゾウの群れを見たのは、生まれて初めてでした。


今朝は4時のウェイクアップ・コールで起床。さっと身支度を整えてホテルを後にし、予約してあった四輪駆動車で、例によってレンジャーとともに動物たちの生息地を目指します。アフリカの大地に朝日が昇りはじめました。30分ほど走ると車は停止して、最初にレンジャーから細かな注意点などの説明があり、いよいよ徒歩でのサファリ探索がスタートです。

そのときでした。レンジャーから、いきなり「上着を脱げ」と言われたのです。明るい色の衣服は動物たちを刺激するから、と。じつは私が着ていたのは、真っ赤な防寒ジャケットでした。

それならそうと、車に乗り込む前に注意してくれたら、他の防寒対策を考えたのに。そう恨みがましく呟きましたが、元はといえば赤い服など着てくるほうが非常識なのかな? きっとどこかに英語でちゃんと表記されていたのも知れませんね。

S.Akimoto at 13:33|Permalink

2010年09月29日

ゲームドライブ

 
ヨハネスブルグを早朝に出発して、車で約6時間。途中で2回の休憩を入れ、クルーガー国立公園には午後2時前に到着しました。昼食をとり、ホテルにチェックインして少し休んだあと、さっそく夕方からの“ゲームドライブ”に出かけます。


ゲームドライブ(Game Drive)とは、野生の動物を探しながら公園内を車で探索すること。100年前から自然保護区を設定して動物の保護・管理に努めてきたクルーガー国立公園では、動物たちのありのままの姿を観察することができます。16時くらいからの2、3時間が動物たちの行動が活発になると聞いて、私も夕方からのナイトサファリを予約しておきました。

指定された大型の四輪駆動車に乗り込むと、万が一の場合に備えて銃を携えたレンジャー(ガイド役)が自ら運転し、森の奥深くへと分け入っていきます。まずはインパラの群れをカメラに収め、途中で池で遊ぶカバの姿を遠くから観察。そして念願だった野生のキリンを見ることもできました〔写真〕。レンジャーから「目当ての動物に遭遇できるかどうかは運次第です」と言われていたので、ラッキーだったのかも知れません。

明日は早起きして、徒歩で回るウォーキングサファリに出かける予定です。

S.Akimoto at 06:25|Permalink

2010年09月28日

野生動物を食べる

 
ヨハネスブルグに到着後は空港近くのホテルにチェックインし、今日は市内を中心に歩きました。そして夕刻には、この国に生息する数々の動物の肉料理が食べられるという老舗のレストラン「カーニボル(Carnivore)」へ。初日のディナーは、できれば南アらしい料理が食べたい。そう希望したら、地元の観光局の人が案内してくれたのです。


昔の武士の刀のように長い鉄串で焼いた肉のかたまりを、ウエイターがテーブルに持ってきて切り分けてくれます。牛や豚や鶏、ラムなどのほか、シマウマやクロコダイル、インパラなどがあるというので、実際に焼いている様子を見たいと思いキッチンを覗いてみました。

しかし、どれが何の動物の肉なのか、さっぱり見当がつきません。するとキッチンから出てきて一つひとつ説明してくれたのは、シェフのアベッド・ニゴさんです。

どれが一番のおすすめかと聞くと、これなんかどう? といって見せてくれたのは、何とキリンの肉でした。私は子供の頃からキリンが大好きで、ちょっと躊躇しましたが、シェフにせっかくすすめてもらって断るわけにもいきません。で、恐る恐る口に入れてみると──なんというか、脂身のない(しつこくない)チャーシューを食べている感じ。貴重な体験をしました。

S.Akimoto at 07:34|Permalink

2010年04月10日

旅の終わりに

 
旧市街をたっぷり満喫した翌日は、初日の夜に歩いた新市街のイスティクラール通りへ再び。今回は昼間なので、タクシム広場からテュネル地区へ結んでいる路面電車にも会うことができました。


通る電車はどれも満員です。レトロな赤い車両が「チン、チン」とベルを鳴らして人をかき分けながら進んでいくのを見ると、みんなつい乗ってみたくなるのでしょう。歩いたほうがよっぽど早そうなのに。車両の外側に無賃乗車の子どもたちがぶら下がっている光景も、すっかりイスタンブールの風物詩になりました。

しばらく歩くと、やがて前方の高台に、ガラタ塔の三角屋根が見えてきました〔写真〕。塔に近づくにつれ、平坦だった道が急な上り坂や階段道に変わりはじめます。周囲に目をやると、同じ方向に歩いているのは観光客風の人がほとんど。みんな塔を目指しているのかも知れません。

ガラタ塔は、14世紀にジェノヴァ人が監視塔として建てたものです。てっぺんの展望台に行くとボスポラス海峡からマルマラ海までが一望できると聞き、旅の終わりに私ものぼってみることにしました。なるほど、360度の絶景です。次はいつ再訪できるかわからないイスタンブールの街並みを、しっかりと目に焼きつけておこう。そう思って、しばらく景色に見入っていました。

S.Akimoto at 14:58|Permalink

2010年04月09日

ブルーモスク

 
イスタンブールを訪ねるのは、かれこれ十数年ぶりです。で、今日は一日、市内観光に充てることにしました。トルコ航空本社での取材も昨日で無事に終わったので、気ままに、のんびりと。


さっそく足を向けたのが、ヨーロッパ側の旧市街でした。イスタンブールを代表する観光名所といえば、この旧市街に建ち並ぶ次の3つでしょう──「トプカプ宮殿」と「アヤソフィア大聖堂」と「スルタンアフメット・ジャミイ」と。どれも狭いエリアに集中しているので、徒歩で回れるのですが、見学するとなるとこれがけっこう大変です。トプカプ宮殿だけでも本当は丸一日かかりますから。

宮殿内に飾られた86カラットダイヤなどの秘宝はもちろん、壁や天井のタイルがまた美しい。日本や中国のおびただしい数の陶磁器コレクションに触れながら「これらがみんな、かつて船やラクダの背中に乗ってここまでやって来たんだなあ」と、遠い昔を空想してしまいます。隣のアヤソフィアは赤い聖堂で、暗くてひんやりした内部にステンドグラスを通して差し込む光がとても幻想的でした。

そして最後に訪ねたのが、「ブルーモスク」の名で呼ばれるスルタンアフメット・ジャミイです〔写真〕。靴を脱いで中に入ると、その名のとおりの“青の世界”にうっとり。でも、外は決して静かとは言えません。いつ来ても世界中からの観光客でいっぱいで、モスクにたどり着くまでの怪しいトルコ人たちの“日本語攻撃”には、めまいがしてきます。「オハヨウゴザイマス」「コンニチハ」に始まって「シャチョウサン」「センセイ」まで。無視して行き過ぎようとすると「チョットマッテクダサイマセヨ」と追いかけてきます。

前に来たときも同じで、地元の知り合いのトルコ人にそのことを話すと、彼は日本語で「気にしない、気にしない」と手を振りながら言いました。

「でも、ブルーモスクは美しかった? 素晴らしかった?」
「うん」と私はうなずきます。「すごく」
「でしょ、でしょ。だったら気にしない、気にしない。美しいものにはみんな、トゲがあるよ」

トルコの人たちは親日的で、みんなとてもフレンドリーです。日本語も上手に操る人が多いのですが、ときどき間違った使い方をするので、話していて頭が混乱します。

S.Akimoto at 15:17|Permalink

2010年04月06日

ボスポラス海峡を望む

 
かなり強い向かい風の中、イスタンブールまでは結局13時間のフライトになりました。新市街の海沿いのホテルにチェックインしたのは、現地時間の夜10時過ぎ。しかし遅い時間に到着しても、私がそのままホテルにとどまるわけはありません。さっそく車を拾ってタクシム広場まで行き、そこから南に広がるイスティクラール通りを夜の散歩へ──。


イスティクラール通りは、トルコで一番の繁華街です。17世紀頃からヨーロッパ人の居住区として利用され、各国の在外公館やさまざまな宗教・宗派の関連施設がこの界隈に集中。通りには洒落た店が1キロ以上にわたって続きます。昼間は通りの真ん中をレトロな赤い路面電車が走っているのですが、さすがにこの時間は終わっていました。

メイン通りから一歩路地に折れると、いい感じの居酒屋が軒を連ねています。そのうちの一軒で、私もトルコビールと地酒のラクを注文。ほろ酔い気分になったところで、もう一度車を拾い、次はボスポラス海峡に面したカフェを目指しました〔写真〕。以前この街を訪れたときに知り合った地元の人が「イスタンブールっ子はボアーズ(ボスポラスのトルコ語)に家を持つのが一生の夢」と言っていたのを思い出したからです。

私もイスタンブールが好きですが、さすがに家を買うつもりはないので、お茶代だけ払ってその夢をひとかじり。テラス席で海風に当たって1時間ほど過ごし、夜中の2時過ぎにホテルに戻りました。

S.Akimoto at 11:11|Permalink
Profile

秋本俊二(Shunji Akimoto)

作家/航空ジャーナリスト。東京都出身。学生時代に航空工学を専攻後、数回の海外生活を経て取材・文筆活動をスタート。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、テレビ・ラジオの解説者としても活動する。『これだけは知りたい旅客機の疑問100』『ボーイング787まるごと解説』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンスアイ新書)や『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)など著書多数。

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