ヒューマン・ネットワーク

2016年10月11日

世界最高気温

 
今年6月から半年の予定で中東クウェートに駐在している友人の日本人商社マンから「10月に入ってようやく過ごしやすくなった」と連絡が入りました。私は行ったことがありませんが、典型的な砂漠気候の同国は、5〜9月の夏場はとくに暑さが厳しいらしい。赴任した当初、彼は「焼けつくような熱風が湿気を運んできて、生きている心地がしないよ」と言っていました。気温が50度を超える日もあったそうです。

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そういえば今年7月だったか、クウェートで東半球の最高気温を更新したという報道があったような。スクラップを探すと、見つかりました。時事通信が配信したニュースで、7月21日に54.0度を観測したとあります。以前私もUAEのドバイで45度を体験し、ヘトヘトになりましたが、54度はその比ではありません。

記事によると、東半球には欧州やアジア、オセアニア、アフリカなどが含まれるそうです。過去にはチュニジアで55.0度を観測したという記録もあるみたいなのですが、古いデータで信頼性が疑問視されているのとことで、今回のクウェートの54.0度が東半球の最高記録になるらしい。ちなみに世界の最高気温は1913年7月10日に米カリフォルニア州デスバレーで観測された56.7度、日本では2013年8月12日に高知県四万十市で観測された41.0度が最高と記事にあります。

先週初めに取材先のベトナムから帰国すると、東京もすっかり季節が変わっていました。日本列島では間もなく、紅葉前線の南下が始まりそうです。

S.Akimoto at 14:48|Permalink

2016年02月20日

百年の孤独

 
タイトルの『百年の孤独』は南米コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの代表作ですが、今日は小説の話ではありません。日本の麦焼酎の話です。宮崎県の酒造メーカー・黒木本店の同名の銘酒「百年の孤独」に、昨夜久々に出会いました〔写真〕。


一般的な焼酎は蒸留後にそのまま瓶詰めして出荷されますが、「百年の孤独」はウイスキーなどと同様に蒸留した焼酎をホワイトオークの樽で熟成させます。そうして3年ものや4年もの、5年ものをブレンドしたものが「百年の孤独」で、生産本数が少ないためなかなか手に入りません。私は以前、製造元に近い友人のつてで仕入れたり、デパートの抽選販売で買ったりしてきました。

今週、フィンエアーのヘルシンキ本社から、取材で何度もお世話になった広報マネージャーのマリ・ロウヴィさんがご主人のテッポさんとともに来日しました。国会議事堂に近い「永田町 黒澤」で昨夜、彼らとの会食の約束があり、シンガポールからの帰国直後でしたが私も写真家の倉谷清文氏とともに参加。「永田町 黒澤」は黒澤明監督の料理番だった長女・黒澤和子さんのレシピをもとにしゃぶしゃぶ料理などでもてなしてくれる老舗店です。酒を選ぼうとメニューを見ると、何とそこに「百年の孤独」の文字が! ちょっと──というか、他の銘柄よりもかなり高価だったものの、せっかくなのでボトルを注文しました。めったにないチャンスですので。

色は淡い琥珀色で、香りも焼酎というよりはウイスキーなどの洋酒に近い。アルコール分は40度とやや高めですが、独特のコクと香ばしい麦の風味を味わうため、ストレートかロックで飲むのが合います。私はいつものようにロックで始めると、ロウヴィさん夫妻もそれに習いました。マリさんはあまり強いお酒が苦手なようでしたが、テッポさんは相当に気に入った様子。かなり酔いが回るまで飲んで、語り合い、楽しい宴になりました。

S.Akimoto at 17:01|Permalink

2016年01月23日

写真パネル

 
相棒である航空写真家のチャーリィ古庄氏が昨日、東京・湯島のわが「雲の上の書斎」にふらりとやって来ました。とっても素敵なおみやげを手に。そのおみやげとは、ご覧の写真パネルです。「デスク前の掲示ボードのスペースが空いている」と以前話したら、自慢の作品をプリントしてパネルをつくってきてくれました。


青空をバックにした旅客機だけの写真には、私はあまり興味がありません。その点、チャーリィの作品には、異国の風景を背景に写し込んでいるものが多い。彼得意の空撮写真には、いつも旅情をかきたてられます。

いただいたパネルは、大きいほうのモノクロ写真がオーストリアのインスブルックを舞台にしたもの。「美しい山に囲まれた、大好きな空港です」と彼は言っていました。その横の小さいカラー写真の撮影地はロサンゼルスで、ダウンタンを背景にしたエミレーツ航空A380のアプローチシーンです。

彼の作品を間近で見てみていという方は、東京・日本橋に足を運んでみてください。スルガ銀行ANA支店で現在、彼のミニ写真展が開催中です。明日24日(日)の13時〜15時は彼自身も会場にいるそうなので、本人をひと目見たいという人も、ぜひ!

S.Akimoto at 14:11|Permalink

2016年01月12日

ステンドグラス

 
ヨーロッパを旅して古い教会を訪ねるのが、私は好きです。そこでいつもつい見入ってしまうのが、外から差し込む光を通して色鮮やかにきらめくステンドグラスの数々。今日の午後、構想している文芸作品を書くための予備取材で、東京の武蔵野で創作活動を続ける日本人ステンドグラスアーチストのKさんとお会いしてきました。


Kさんが奥の部屋から「これが記念すべき私の第一作でした」と大事そうに抱えて見せてくれたのは、ライトを囲う四面に鳥をデザインしたランプシェードでした。第一作をつくりあげたのは、いまから25年前だそうです。「完成してしばらくは、朝起きると真っ先にランプに灯をともして、気がつくと1時間くらい見入っていましたね」とKさん。処女作というのは、それだけ思い入れも深いのでしょう。

現在は国内外の教会や施設などからオーダーを請け、マイペースでの活動を続けています。一つの作品を創りあげると、しばらく休んで、またいい絵などを見て作品の構想ができると次作にとりかかると言っていました。

これまでで一番気に入っている作品は? 私のその質問に、Kさんは「手がけた作品はどれも同じように愛着がありますね。長男も次男も末っ子も、わが子であればみんな愛おしい。それで同じです」と目を細めます。そして「子どもはいずれ大きくなると親から離れていってしまいますが、ステンドグラスはどこへ納入しても常にそこで輝きつづけ、いつでも会いに行くことができる。創作活動に取り組むようになってから、人生もきらめき始めた気がします」と話していたのが印象的でした。

S.Akimoto at 23:30|Permalink

2015年08月04日

下町の話

 
この時期、毎週土曜日になると各地で花火大会が開催されます。先週は私の住む街でも1万発を超える花火が打ち上がったほか、今週末には東京湾でも恒例の大華火祭が予定。晴海埠頭などは多くの人出でにぎわうでしょう。


東京の下町で育った私にとっては、最も馴染みの深いのが隅田川の花火大会。今年は7月25日に開催されました。第一会場と第二会場を合わせ、計2万発が打ち上がる光景は圧巻です。ただし隅田川花火大会の欠点は、観賞する土手や河川敷がないこと。訪れた人たちの多くは、立ち止まることができず、ずっと歩き続けなければなりません。そんな中でこの日ばかりは最高の夜を過ごせるのが、隅田川沿いのマンションに暮す人たちです。

私の学生時代の仲間にも、吾妻橋と言問橋の中間の川沿いに部屋を持っている人がいます。それも9階建てマンションの8階に。花火鑑賞に、これ以上のロケーションはありません。彼は「花火の日は毎年、知り合いや友人たちに部屋を開放する」と言っていました。本人の仲間や奥さんの知り合い、息子と娘の同級生など30人近くが集まり、ベランダから見える花火を楽しみながら飲み食いに興じるそうです。そして来客が全員帰ったあとで、ときどき騒動が持ち上がるのだとか。

「キッチンの近くで輪になっていた若い3人組は、タカシ、お前の同級生か?」
「え、違うよ。ヨシエの友だちじゃねーの」
「私の友だちじゃないよ。私はお母さんの教え子だと思った」
「あら、知らないわ。じゃあ、誰? また知らないグループが入ってきてたのかしら」

東京の下町とは、そういうところです。オープンなのはいいのですが、他人に無防備で。私も、30年ほど暮した郊外を離れ、そんな下町にもう間もなく戻ります。

S.Akimoto at 07:49|Permalink

2015年07月09日

神戸&姫路ツアー

 
“平成の大修理”を終えて真っ白に生まれ変わった姫路城を見にいきたい。再生を目指すスカイマークを応援するため、羽田から神戸への同社便を利用して! 先日のBlogでそんなふうに呼びかけたら、アッという間に賛同者が集まりました。で、急きょ企画したのが、1泊2日でゆく「神戸&姫路ツアー」です。現在、朝の8時を回り、参加者たちが羽田空港第1ターミナルのスカイマークカウンター前に集合しはじめました。


これから9時5分発のBC103便で、神戸に向けて出発します。私の呼びかけに応じてくれたのは、仲良しの飲み仲間であるダイヤモンドビッグ社『地球の歩き方』編集長の鈴木達也さんと、永田さち子さん、芹澤和美さんの女性トラベルライターの二人。私を含め計4名でのツアーになりました。永田さんは神戸の観光特使を務める関係でもともとスカイマークのヘビーユーザーであり、一方の芹澤さんもライターとしてスカイマークの機内誌の仕事に関わってきた人で、そういう意味では最も相応しいメンバーが集まったといえるかも知れません。

永田さんが「スカイマークの安いチケットのおかげで、仕事での移動をどれだけ助けられたか」と応援ツアーへの参加理由を口にすれば、芹澤さんも「これからもっともっと頑張ってもらわないとね」と“生涯応援団”の一員としての決意を言葉ににじませます。

もう一人、神戸ではNHK神戸放送局のアナウンサーである和田光太郎さんが私たちの到着を待ちかまえています。大のヒコーキファンである和田さんは、前職場の宮崎放送局時代に『ヒコーキラジオ・NHK001便/002便』というラジオ番組を企画。彼が司会者で、私が解説役を担当し、とくに2回目の「NHK002便」では10時間半という長丁場のFMラジオ特番を実現しました。今年4月から神戸放送局に異動になった和田さんとは、ほぼ半年ぶりの再会となります。今夜遅くには、私の弟子兼アシスタントである宮下裕子さんも遅れて到着し、三宮あたりで全員で親交を深める予定。再生した姫路城と、再生に向けて社員が一丸となって頑張っているスカイマークの話で、おおいに盛り上がりたいと思います。

S.Akimoto at 08:40|Permalink

2015年06月18日

船と飛行機と鉄道と

 
学研パブリッシングから今週、『ちょっと豪華な乗り物の旅』というムックが発売になりました。“大人のたしなみシリーズ”の最新刊で、船と飛行機と鉄道の旅が1冊に凝縮されています。私は「第2部・エアラインの旅」で巻頭言の2ページと、日本の国際化が進展しつつあった当時を回顧する「古き良き時代の空の旅」というエッセイを寄せました。


飛行機の旅はもちろん、第3部で取り上げている「鉄道の旅」も楽しいですが、本書をめくってみてぐっと興味を引かれるのが第1部で紹介されている「クルーズ船の旅」。その導入部では、友人である『クルーズ』誌編集長の宮崎由貴子さんがインタビューに答えています。

「見知らぬ街へ、海から近づいていく体験は言葉にならないほどの旅情がかき立てられるでしょう。遥か昔の冒険者たちも、こんなワクワクする感覚を味わったのではないかと思うこともあるほど。ベニスのように、船で訪れるのが正統的だろうと思わせる街もあります。入港の様子を眺めていると、自分も歴史の流れのなかに身を置いていることを実感する気持ちが湧いてくるのです」

季刊『航空旅行』誌の取材で私が1週間のカリブ海クルーズを体験したのは、もう3年前になります。宮崎さんの協力やアドバイスのおかげで実現した取材で、船旅の楽しさと醍醐味を知りました。次はエーゲ海クルーズを、と目論んでいるのですが、まだ希望は叶っていません。ベニスを出港して、スペインの港町バルセロナを目指す──いつかそんな旅に出たいと思っています。

S.Akimoto at 10:43|Permalink

2015年06月01日

新宿駅西口交番

 
旅とワインと音楽が好きで、昨年も『ワインで旅するカリフォルニア』と『ワインで旅するイタリア』を出版したライター兼カメラマンの桑田英彦さんと先週、半年ぶりに飲もうということになりました。繰り出したのは、東京・新宿。待ち合わせの場所に選んだのがご覧の「新宿駅西口交番」の前です。


新宿駅西口交番といえば、私たちの世代はミーティングポイントの定番中の定番でした。駅の改札から近くて、しかも見通しがいい。当時は携帯電話などなかったので、待ち合わせ場所は相手を発見しやすいというのが必須条件でした。「最近はもう人も少ないのかなあ」と思いながら到着すると、どうしてどうして。何人もの人やグループが交番前に立ち、待ち人を探して改札口のほうに目をキョロキョロ走らせています。そのほとんどが私たちと同年代か、もっと上の層みたいでしたが(笑)。

桑田さんと知り合ったのは、ローマに向かうアリタリア-イタリア航空の機内でした。何年か前に、それぞれに別のイタリア取材があり、偶然いっしょになって。昨年秋にアメリカのLAで取材していたときにも、桑田さんから「自分もいまLAにいる」と連絡が届き、不思議な縁のある人だなと思っています。

LAといえば、私の物書き人生の“原点”となった街であることを以前のBlogに書きました。桑田さんにとってもLAは、フリーで活動を始める前に、音楽雑誌の編集者を経て渡米し1980年代を過ごした街だとききます。そんな話も交えながら、新宿で17時から飲みはじめ、気がつくとワインボトル3本が空っぽに。続きはLAで──ということになり、今年後半に二人で飛んで「サンタモニカあたりで朝まで飲み明かそう」と約束しました。

S.Akimoto at 18:44|Permalink

2015年05月29日

俳優・今井雅之さん

 
あれは、いまから20年前──1995年の夏でした。東京・赤坂の小劇場「シアターVアカサカ」(2008年6月に閉館)の楽屋を本番開始の2時間前に訪ねると、今井雅之さんが「僕なんかを取り上げてくれて本当にありがとうございます。感激しています」と私に手を差し伸べました。人懐こい笑顔で、しかし目だけは野生動物のようにギラギラしていたのを思い出します。


その日は、今井さんが原作と脚本、主演を務めた異色の舞台『THE WINDS OF GOD』の上演初日。会場では慌ただしく準備が進むなか、私のインタビューに真摯に答えてくれました。当時私はある経済誌に『境界線からの視点』という著名人への連載インタビューのページを持っていて、注目している舞台が始まるからと編集部に提案し、今井さんに取材を申し込んだのです。今井さんは二つ返事で引き受けてくれました。

「いまは何をやっても食べていける時代です。だから役者の世界でも、せっかく役をもらっているのに、バイトがあるからと平気で稽古を休んでしまう。考えられません」と話していた今井さん。「風呂付きアパートの家賃を払わないといけないからバイトに行くというのもわかるけど、だから役者としてのチャンスを逃してしまっていいのか。だったら役者になりたいなんて考えなければいいし、役者を目指す気があるなら、家賃を払えないそのアパートを出ればいいじゃないですか」

その熱い語り口が、いまも耳に残っています。本当に“熱い”人でした。インタビュー後に「初日の舞台、最後まで観ていってくださいね」と私を中央の席に案内し、そして「秋本さんも舞台をお書きになると聞いています。いつかいっしょにやりたいですね」ともう一度手を差し伸べた彼。『THE THE WINDS OF GOD』は20年経ったいまも上演が続き、作品の生みの親である今井さんはこの世を去りました。54歳という若さで。残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

S.Akimoto at 15:07|Permalink

2015年05月23日

世界に一つだけの宝物

 
ガラスの表面に細かな砂の粒を吹きつけて文字やマークを彫っていく「サンドブラスト」という技法があります。ジェットスタージャパンで先日、熊本へ飛んだ際に、この技を駆使して世界に一つだけのマイグラスを作ってくれる工房を訪ねました。


訪ねたのは、熊本市内の中唐人町にあるサンドブラスト工房「Only you」。アーチストの山田真由美さんが、2カ月前にオープンしました。場所は、熊本を舞台にしたわらべうた『あんたがたどこさ』に出てくる洗馬橋のすぐ近く──「♪熊本どこさ、せんばさ。せんば山にはタヌキがおってさ」の洗馬です。

山田真由美さんは、私の古い記者仲間である山田実氏の奥さん。サンケイスポーツ紙の記者からフリーのライターに転身した山田氏とは、私が駆け出しライターだった20代に知りあい、経済誌などを中心舞台に30代半ばまで同じプロジェクトを追いかけました。彼はその後、実家の都合でふるさとの熊本に戻り、現在は奥さんの工房でサポート役を務めています。今回の訪問で、かれこれ20年ぶりの再会を果たしました。

先ほどfacebookにもアップしたご覧のグラスは、私の訪問に合わせて真由美さんが制作しておいてくれました。飛行機の図柄と『雲の上の書斎から』という文字が刻まれています。こうしたマイグラスのほか、ワインボトルにメッセージを入れてプレゼント用に、というのもいいかも知れません。熊本に行った際は、みなさんもぜひ訪ねてみてください。サンドブラスト工房「Only you」のホームページはこちら。体験教室も開催しているそうです。

S.Akimoto at 09:21|Permalink

2015年04月29日

天草・おとこ二人旅

 
よく飲んで、食べて、笑いっぱなしの3日間だったなあ──と、楽しかった思い出がいまもまったく薄れていません。「秋本さァん、暴飲暴食の旅に出ようよ〜」というパラダイス山元さんの誘いで実現した“天草・おこと二人旅”。その詳細を、明日発売の季刊『航空旅行』春号(Vol.13)で書いています。


熊本県の天草といえば、利用したフライトはもちろん天草エアライン。熊本県と天草地域2市1町などが出資する第三セクターとして2000年3月から運航を始めた、日本一小さな航空会社です。私たちは福岡からのアプローチでしたが、レポートでは機内の様子なども詳しく報告しました。

私が書いた文章の中に「念願の弟ができた」という記述が出てきます。“弟分”といったほうが正確でしょうか。その人は、天草エアラインの営業部長の川崎茂雄さん。今回の旅で運転手役を買って出てくれました。3日間をずっといっしょに過ごしたら、お互いの情が移り、まるで兄弟のように近しい間柄になってしまったのです〔写真=一番右のマスクをしたクリクリ坊主が川崎さん〕。

じつは5月に熊本に飛ぶ用事があるので、川崎さんに「時間がとれるなら天草に足を伸ばそうかな」とメールしたら、すぐに「ぜひ来てください。ゆっくり飲みましょう!」という返事。そして、こんなことも書いてきました──「好みの子はいますか? 用意しておきますので、早めに希望を言ってください」。天草エアラインには5人のCAがいます。いっしょに飲みたい相手がいたら誘っておきますよ、という意味なのですが、誤解を招きかねない表現に「おめえは置屋の丁稚か!」とさっそくツッコミを入れておきました。

S.Akimoto at 23:47|Permalink

2015年04月20日

10年目を迎えて

 
朝からメールやFacebookで、みなさんからたくさんの温かいバースデーメッセージをいただきました。誕生日というのは、いくつになっても嬉しいものです。そして今日は、このBlog『雲の上の書斎から』の開設記念日でもあります。空の旅を中心テーマとした日々の短い文章を、2006年の4月20日に書き始めました。


3日に一度の更新を基本に、エアラインやマスコミの関係者、さらにヒコーキや旅行ファンなど多くの読者に支えられ、ここまで9年間書き続けてきました。今日から10年目に突入です。が、じつは去年の後半あたりから「そろそろ潮時かなあ」という考えが頭をよぎっています。もう十分に役割は果たした気もしていますし、本業の書き物が最近はとにかく忙しく、更新日がきても思うように時間がとれないことも少なくありません。閉鎖の方向で考えようか、あるいは更新を1週間に一度程度に変えて細々と続けていくべきか。いろいろ悩みました。

とはいえ、アクセス数を分析してみると、ありがたいことにいまなお新しい読者の方が増えているのも事実。また、私の連絡先を知らない編集者やメディア関係者からの新規の仕事依頼や相談が、このBlogの窓口から届くことも珍しくありません。

3日に一度の更新は誰と約束したものでもありませんが、物を書き続けるには、自分自身に対する“縛り”というのが重要とも感じています。一度エンジンを切ってしまうと、新しい発見や驚きに遭遇するチャンスも少なくなるのでは? そうも考え、やっぱりもう少しだけ頑張ってみようと思い直しました。これからあと何年も、というわけにはいきませんが、まずは10周年を目指して3日に一度の更新は続けていこうと。ちなみに上の写真は、ちょうどBlogを始めた頃に訪ねたニュージーランドのワイナリーで撮ってもらったものです。さすがに、若いなあ。いまは見る影もありません(笑)。

S.Akimoto at 23:39|Permalink

2015年04月17日

時速590キロ

 
今日はヒコーキではなく、新幹線の話。リニア中央新幹線の2027年開業を目指すJR東海は16日、営業仕様の「L0系」車両を使った山梨リニア実験線での有人走行試験で「時速590キロ」を達成したと発表しました。鉄道では世界最速となる記録で、ギネスにも登録申請するそうです。


私は「航空」に限らず、物書きとしてこれまでさまざまなジャンルで執筆を続けてきました。広告コピーのライター経験も長く、大手広告代理店の仕事を手伝ったことも2度や3度ではありません。当時受け持ったビッグクライアントの一つがJR東海で、私は技術関係の取材・執筆をメインで担当。約10年間、東海道新幹線などの現場を歩きました。

リニアの研究施設や開発現場の取材も重要なテーマでした。山梨実践線にも何度となく足を運び、技術者たちにインタビュー。1997年の12月に、それまでフランスの高速鉄道TGVが持っていた時速515キロの記録を塗り替える時速531キロを達成したときも、リアルタイムで現場からの報告を受けながら記事にしたことを思い出します。あれはたしか、その年のちょうどクリスマスの日でした。

そして昨日、さらに60キロも記録を上塗りし、時速はついに590キロに! もっとも、営業運転では最高でも時速505キロ程度で、最速への挑戦はあくまで「信頼性」を高めるためのものです。リニアには運転席がありません。ガイドウェイ(側壁)に配された電磁石(推進コイルと浮上・案内コイル)を地上から遠隔操作することで、車両を前進させます。超高速で走る無人車両を、ホームドアを備えたホームに1センチの狂いもなく止めるためにはきわめて高精度な制御技術が必要で、実用化に向けたエンジニアたちの挑戦は今後もまだまだ続くのでしょう。「世界最速」のニュースに接し、久しぶりにまた現場を取材してみたくなりました。

S.Akimoto at 18:47|Permalink

2015年04月11日

航空セミナー第2弾

 
3月12日に六本木ミッドタウンタワー7階のイベントスペース「d-labo」で開催した私のトークセミナーのレポートが同サイトにアップされました。当日はせっかく申し込んでいただきながら、急な仕事などで出席できなかった方も多かったと主催者側から報告を受けています。レポートは2時間おしゃべりしたうちの一部を再現したものですが、お越しになれたかった方はこちらをご覧ください。


それでも当日はたくさんの人にお集まりいただき、d-laboスタッフも「セミナーを始めて以来の大入り・盛況だった」と話していました。“空の旅”に興味をお持ちの方がこれほど多いのかと、登壇した私自身も驚いています。セミナーではANAから現役の客室乗務員である広報部の山本直子さんにゲストで登場していただくと告知したことも、少なからず影響があったのかも知れません。

さて、その盛況を受けて、d-laboからは「今後も“航空”をテーマにしたセミナーは継続して開催していきたい」と要望が届きました。もちろん、私も二つ返事で承諾しています。そしてまずは、私の相棒である航空写真家のチャーリィ古庄氏が「第2弾」を受け持ってくれることになりました。2015年5月21日(木)の開催で、テーマは「写真で見る世界のびっくり空港&おもしろエアライン」。詳細はこちらです。

興味のある方は、どうぞ早めにお申し込みください。私は5月の連休明けは出張がつづき、しばらく留守にしますが、セミナー開催の前日には戻る予定。ですので当日は、私も会場に応援に駆けつけたいと思っています。

S.Akimoto at 18:18|Permalink

2015年03月30日

週刊ポスト

 
週刊誌に、ついに自分のことを書かれてしまいました。「顔はコワいがダンディで──」などと、褒められているのかケナされているのかわからないような、失礼千万な表現で。いったいどんな記者を使っているのか。ったく。訴えてやるゥ!


──というのは冗談です。記事を書いたのは、ラジオ番組のコメンテーターなどで大活躍している旅行・航空アナリストの鳥海高太朗氏。彼が『週刊ポスト』に連載中の「“おとな旅”コンシェルジュ」の取材で、私の親しい友人であるマンボミュージシャンのパラダイス山元さんとの天草への珍道中にいっしょに同行し、今日発売の同誌にその詳細を面白おかしく記事にまとめています。

鳥海氏からは記事が掲載される前に「男性週刊誌の“ノリ”で書かなくちゃいけなかったので、怒らないでくださいね」と連絡が届いていました。もちろん私は「何をどう書いたっていいよ。楽しい記事にしてね」と返事。彼は大切な仕事仲間ですし、航空マスコミの世界に入ってきたときからずっと可愛がっている後輩でもあります。そんな鳥海氏も加わっての今回の天草の旅は、飲んで食べて、とにかく笑いっぱなしの3日間でした。

私も現在、季刊『航空旅行』の春号(Vol.13)に寄稿する天草エアラインのレポートを書き進めています。例のドイツ・ジャーマンウイングスの事故のことで今日もTBSの昼の情報番組『ひるおび!』への生出演があったりで、作業が止まっていましたが、明日には仕上げて入稿できる予定。掲載号は4月30日に発売ですので、こちらもどうぞお楽しみに。

S.Akimoto at 17:54|Permalink

2014年08月07日

『サイゴン 花 夜』

 
東京メトロの茅場町駅を出て隅田川方面へ歩き、運河にかかる橋の手前の道を右へ。昭和初期に建てられたという趣のあるビルが見えてきます。目指す「森岡書店」はそのビルの3階だと聞き、階段を上ってゆくと──ありました。アンティーク調の家具が配置され、そこに書店主が国内外で集めたという古い写真集や美術書、イラスト集などがゆったりと並ぶレトロな空間が!


今日(日付が変わってしまったので正確には昨日)の夕刻、ここを訪ねたのは、古書店に併設されたギャラリーで写真家・在本彌生さんの個展『サイゴン 花 夜』が開催されていたからです。在本さんとはFacebookでつながっていたものの、実際にお会いするのは初めて。個展を開いているからと招待を受け、足を運んでみることにしました。

彼女の写真は海外で撮影したものが多く、過去の作品はホームページやFacebookでときどき拝見していました。とても雰囲気のある作品を撮る写真家だと思います。「今回展示した写真は、サイゴンの夜の花、町、そして花のような人々を撮ったものです」と本人は話していましたが、“喧騒”のイメージが強い昼間のサイゴン(ホーチミン)とはまた違う、この街の夜の表情を独特の感性で見事に切り取っています。

先月末にオランダとベルギーでの撮影から戻ったばかりだそうで、今後の予定を聞いた私に「南米かエチオピアに行きたい」と言っていた在本さん。いつかいっしょに海外取材を共にしようと約束しました。写真展『サイゴン 花 夜』は8月9日(土)まで開催されていますので、みなさんもぜひ出かけてみてください。他の本屋さんでは体験できない森岡書店の味わいのある“空気感”も、きっと気にいってもらえると思います。

S.Akimoto at 01:39|Permalink

2014年07月25日

ギネス世界記録

 
私の連載『秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話』の取材で、今日は東京・赤坂にある「Business Media 誠」の編集部に来ています。インタビューの相手は、私のよきパートナーとしていくつもの海外取材を共にしてきた航空写真家のチャーリィ古庄氏〔写真〕。今年の春先に成田空港での撮影で会って以来、4カ月ぶりの再会を果たしました。


連載第72回となる今回のテーマはズバリ、古庄氏が持つ「ギネス世界記録」です。これまで100カ国・地域の500近い空港を訪れた彼は、今年3月に「世界で最も多くの航空会社に搭乗した人」として認定を受けました。搭乗記録はいつから残しているのか? 旅をするのは年に何回くらい? 今後の目標は? ギネス記録に認定されてプラスになったことは? ──彼のファンや読者に代わり、私からそんな質問をぶつけました。インタビュー記事は来週にもアップするほか、取材後は吉岡綾乃編集長を司会に彼と私の対談を動画収録しましたので、後日それもご覧いただけると思います。

「ところでチャーリィ、昨日ヨーロッパから帰国したんだよね。どうだった」
「満足できる写真がいっぱい撮れました。忙しかったですけどね。秋本さんの近々の海外取材の予定は?」
「夏場は書斎にこもっての原稿書きが続くけど、8月に1件だけあるね。アメリカ取材が。そうだ。カメラマンが必要なんだけど、行くか、いっしょに?」
「いつですか? ──あ、この日程なら動けます。行きましょう」

ギネス記録に関するインタビュー取材を終えたあとの上記のような会話で、彼と8月に渡米することになりました。二人のコンビでの取材は久しぶりですが、私たちの活動プランはいつもそんなごく簡単なやりとりで決まります(笑)。米国取材の報告については、また後日に。

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2014年05月13日

幼なじみの書家

 
原稿書きに集中するため、都心の某シティホテルに部屋をとって詰めています。その合間をぬって先ほど、日本橋高島屋の8階ホールで開催中の「現代女流書100人展」という書道展に足を運んできました〔写真〕。私と同い年で、下町の幼なじみでもある書家・島村操さんが作品を出展していたからです。


漢字やかな、近代詩文書などのジャンルに分かれて展示されていた中で、島村さんの作品は、いわゆる墨で文字を書く「書」ではありません。彼女の専門は「篆刻(てんこく)」です。私はシロウトなので詳しくありませんが、篆刻とはつまり、書道と彫刻をかけ合わせたようなジャンル。師範である父親の影響で幼少の頃から「書」の道を歩んでいた彼女が篆刻にのめり込んでいったのは、20代の後半でした。上野の居酒屋で飲んでいて、突然「私、篆刻に生きることに決めた」と宣言したのです。

その宣言の前にすでに中国に渡っていたか、あるいは篆刻に興味をもったから中国を目指すようになったのか? 記憶は定かではありませんが、彼女が中国で強い影響を受けたことははっきり覚えています。自身の口から「篆刻は書道芸術のひとつで700年前に中国で起こった」というルーツにまつわる話を何度か聞きました。

先週、久しぶりに彼女と会っていて、ふいに「これ、もうすぐ始まるから来てね」とチケットを渡されました。先ほど慌てて行ってきたのは、5月12日(月)がその最終日だったからです。「最後の日の夕方に顔を出すから、終わったらメシでも行く?」と誘うと、首を振って「無理。だって私、いないもん」と彼女。え、会場に詰めてないの? 開催中は女流書家らしいシックな和装などのいでたちで訪れる人を迎えている──勝手にそんなイメージを思い浮かべていたら、大間違い。いまごろはたぶん、沖縄のビーチで思い切り羽を伸ばしています。まあ、さもありなんという感じ。アーチストというのは、どこか必ず“ぶっ飛んだ”ところがありますから。

S.Akimoto at 00:18|Permalink

2014年05月04日

鎌倉に恩師を訪ねる

 
連休も後半にさしかかりました。天気予報によると、今日(5月4日)も一日、初夏のようなぽかぽか陽気。午後からは学生時代にとくに仲の良かった数人のグループで、鎌倉にある恩師(教授)の家を訪ねます。グループに沖縄出身者がいて、彼が休暇を利用して那覇から上京するゴールデンウィークの恒例行事になりました。


集まるのは共に航空工学科で学んだ4人で、一人は私と同じ機体の設計を、残る二人は航空でも原動機工学(エンジン)を専攻。しかし私たちが師と仰ぐ教授は「航空」の先生ではありません。「鍛造」と「鋳造」を専門とする機械工学科の先生です。履修科目の中にそれらの実習があって、教授の指導を受けながら金属のかたまりを1,000度くらいで熱してハンマーで叩いて成型したり、どろどろに溶かした金属を砂でかためた型に流して鋳物をつくったり。不真面目にダラダラやっていると、よく教授から「おい、秋本。気合いを入れろ! モノづくりをなめてるんじゃねーぞ」と小言が飛びました。

ちょっとだけ自慢しちゃうと、私は航空のクラスでもトップの成績で学生生活をスタートしました。ですが、自由な校風の中でどんどん悪い遊びを覚えて、次第に勉学に力が入らなくなります。そんな私に、教授は言ったものです。「優秀な成績で入ってきても、最後はペケで出て行く学生が大勢いるんだ。そういう奴を実際に何人もこの目で見てきた。気をつけろよ」と。私はそのつど「いっしょにされたくないね。大きなお世話だい!」と反発したのですが。いまは会うたびに、教授は「な、秋本。おれの言ったとおりだったろ」と言って笑います。

今日もきっと、同じことを言われるのでしょう(笑)。駅に着いたらまず、教授の自宅のすぐ近くにある成福寺という鎌倉でも唯一の浄土真宗のお寺にお参りし、手を合わせていこうかな〔写真〕。教授がいつまでもお元気で、私たち劣等生グループを叱りつづけてくれますように──と。

S.Akimoto at 01:00|Permalink

2014年04月19日

海原からの便り

 
先ほど、一日早いバースデーメッセージが届きました。それも、はるか東シナ海の海の上から、ご覧の写真が添えられて。差出人は、朝日ウェブで「グルメ旅」の、産経デジタルで「鉄道旅」の連載をつづけるトラベルライターの江藤詩文さん。プリンセスクルーズの大型客船「ダイヤモンド・プリンセス号」が日本発着クルーズにお目見えし、今シーズンの初就航船で10日間の旅をしている真っ最中だそうです。


横浜港を発ったのは4月17日の夕方ですが、プリンセスクルーズは最初のクルーズを前にした15日と16日、たくさんのメディアや旅行記者らを招待しての「1泊2日体験クルーズ」を企画。その宣伝活動がうまくいったようで、招待された記者たちはWebメディアや自身のブログ、facebookなどで一生けんめい紹介文を書いていました。しかしまさか、10日間の初クルーズ“本番”に実際に乗っている人が身近にいたとは! 驚きです。

江藤さんはつい最近もバングラデシュやドイツ、エジプトなどの取材に出かけ、日本に1カ月以上いなかったと記憶しています。ようやく帰国したと思ったら、またまた日本を脱出! もちろん取材なのだと思いますが、日本にいたくない理由でもあるのでしょうか。あ、もしかしたら何かとんでもないことをやらかして、逃げ回っている? ──なんて、そんなワケないか(笑)。

横浜港を出港した大型客船は、奄美群島を抜け、先ほど沖縄に到着したそうです。深夜には再び出港し、次に向かうのは台湾の花蓮。報告を読んでいるだけでも、楽しそうだなあ。週末もこうして書斎にこもって書き物をしていると、青い海が恋しくなります。江藤さん、引きつづき素敵な船旅を!

S.Akimoto at 17:55|Permalink

2014年01月01日

書斎で初日の出

 
1年の計は元旦にあり、と言います。去年は元日のフライトでタイのバンコクに飛びました。タイ国際航空が成田線に新しく導入したエアバスA380の就航初便の取材です。2013年は結局、かつて前例がないほど外国を飛び回り、渡航回数は計20回に。国内線のフライトも20回近いので、元日から飛行機に乗っていると、本当に1年間ずっと乗り続けることになるんだなと実感しました。


さて、年が明けて、2014年の元日を迎えました。今年はどんなスタートかといういと、夜明け前にベッドを抜け出して書斎で原稿を書いています。私の通常の生活とまったく同じように。いまから少し前、6時40分頃に外が白み始め、今年最初の明るい日差しが現在は窓いっぱいに広がりました。

元日から原稿書きに追われていると、書斎にこもりつづける1年になってしまうのでは? はい、2014年はそういう年にするつもりです。旅人である前に、あるいは旅を伝えるレポーターである前に、今年は本来の「作家業」に集中しようと心に決めました。海外に出る回数も、去年の半分程度に抑えたいと思っています。かといってもちろん、仕事や取材のオファーを断ることはしません。どんな仕事でも依頼されたものは基本的には受けさせていただく。従来からのその方針は、今後も貫きます。では、どうするか? 私の周りには旅行ジャーナリズム、航空ジャーナリズムの信頼できる担い手がいるので、そのネットワークをフル活用して期待に応えていこう──そんなプラン(作戦)を立てました。私自身は物を書くことに少しでも時間を費やせるよう、スケジュール管理なども含めたアシスタントを置くことも考えています。

ということで、2014年は「変化」の年になるかも知れません。変われるよう、人と人とのネットワークもより深いものにしていきたいと思います。今年も1年、どうぞよろしくお願いいたします。

2014年元旦 秋本俊二

S.Akimoto at 07:42|Permalink

2013年11月24日

鉄道で国境越え

 
若いころ、ヨーロッパを放浪しながら、鉄道での“国境越え”をいつも楽しみにしていました。国境の駅のホームはとても長くて、その一番手前に列車が止まると、乗客はパスポートを持って一度降りるよう指示されます。ホーム中央にある駅舎は入国審査場になっていて、パスポートを持って駅舎の手前入り口から入り、入国審査を済ませて奥の出口へ。すると列車は少し前に移動していて、また同じ車両に乗り込みます。


いまでもヨーロッパ鉄道旅は大好きですが、正直言って最近は国境を越えた感激がありません。EU(欧州連合)という一つの括りで統合されてからは、域内の多くの国々を入国審査なしで行き来できてしまうし、国境を越えるごとに通貨を両替する必要もなくなりました。もちろん、そのぶん便利にはなったのですが。

あのころの旅はよかったなあ、と誰かに伝えても、そんな私の思いが相手に響くことも少なくなりました。便利さの前には、一人の旅人のノスタルジーなどお呼びでないのでしょうか(笑)。ちょっぴり淋しく感じていたら、先ほど素敵な一文に遭遇しました。産経新聞デジタルで昨日の夕刻にアップされた『江藤詩文の世界鉄道旅』という連載コラムです。

今週の彼女の鉄道コラムでは、ドイツからスイスに入った国境の街シャフハウゼンでのひとこまが旅情豊かに描かれています〔写真はfacebookへのアップ分とともに著者本人の提供〕。読んでいて思わず「そうそう!」と呟いてしまいました。列車を乗り継ぎながら、いくつもの国を当てもなく旅していた当時が懐かしくよみがえります。毎週土曜日に更新されるこの連載コラム──ちょっと疲れたときとか、気持ちが張りつめたときにでも読んでみてください。心がほっと解放されるようで、おすすめです。

S.Akimoto at 02:17|Permalink

2013年10月28日

カタールの二人の友

 
退屈な街だったよ。あの国に行ってもやることがない。カタールの旅を終えた人から、よくそんな感想を聞きます。現地の天然ガスプラントで技術指導する日本人エンジニアの取材で訪れた10年前を思い返しても、典型的なアラブの都市という印象のほかは記憶にありません。ですが、いまは違います。今日、半日かけて街を歩いてみて、その変貌ぶりに目をみはりました。


案内してくれたナジワが、いちいち足を止めては「撮影しなくていい?」と私にほほ笑みかけます。対岸に建ち並ぶライトアップされた高層ビル群〔写真〕。私が知る10年前のドーハと同じ街とは、とても思えません。世界3位の埋蔵量を誇る液化天然ガス(LNG)などの恵まれた天然資源を背景に、とくに2006年にアジア競技大会がカタールで開催されて以降はインフラが整備され、大規模なホテルや観光施設の新設・改修が進められてきました。

「ドーハはこれからまだまだ変わる」と、ナジワの横でサジャドもうなずきます。「私がイラクからドーハに移り住んだ1999年は、まだまったくといっていいほど何もなかった。ボスも10年ぶりの再訪なら、びっくりするのも無理はないよ」

新しい顔がある一方で、ドーハには古い顔もあります。日が暮れてからは、二人は私をアラブらしい雰囲気がただようスーク・ワキーフに連れていってくれました。ここは夜10時を過ぎても、人の流れが絶えません。いまからfacebookに、スークの様子と二人の友人の写真を載せます。サジャドおすすめのイラク料理レストランで撮りました。写真を見てもわかるように、サジャドはかなりのおっさんです。顔もごつい(失礼!)。なのに大きな声で「ボス」なんて呼ばれると、私が周囲からヘンな目で見られそう。

S.Akimoto at 07:34|Permalink

2013年10月26日

ドーハ再訪

 
中東カタールの新聞に以前、私は顔写真つきで載ったことがあります〔写真〕。サジャドという同国在住の記者から「ボスのことを書いておいたよ」とメールが来て、知りました。え、私のことを? なに? なにを書いたの? 焦って問い詰めても、彼からは「まあまあまあ」とはぐらかすような返事がくるだけ。そのうちに私も忘れてしまったのですが──。


サジャドとは、2012年3月にトルコ航空の本社イベントの取材で訪れたイスタンブールで会いました。空港の整備ハンガーで同社CEOのテメル・コティル氏と私が立ち話をしているのを見て、彼は私に「インタビューをさせてほしい」と言ってきたのです。インタビューされた内容は詳しく覚えていませんが、そのとき以来彼は私を「ボス」と言って慕ってくれ、取材の翌日は同じカタールから来ていたナジワという女性の雑誌編集者と3人でイスタンブールの旧市街を歩きました。

サジャドとナジワからはその後もときどき連絡が届きます。近況報告のあとには、彼らの居住地であるカタールの首都ドーハにもぜ来てほしいという親切な言葉が添えられて。ドーハは10年ほど前に一度仕事で訪れて以来、なかなか行く機会がありませんでしたが、ようやく再訪が実現します。今夜のカタール航空QR805便で、成田からドーハへ。渡航の目的は29日(火)に開催されるカタール航空のワンワールド加盟式典の取材ですが、サジャドとナジワに行くことを伝えたら歓迎の返事がきたので、早めに飛んで二人に会うことにしました。

カタールは2022年のサッカーW杯の開催地に決定して以降、各地でインフラ投資が加速しています。首都ドーハもこの何年かですっかり様変わりしたと聞きました。二人に案内されながらの街歩きが楽しみです。いいえ、もっと楽しみなのは、サジャドに直接質問できること──「おまえ、あのとき新聞に何を書いたんだ?」と。

S.Akimoto at 16:42|Permalink

2013年10月21日

飛行少年少女

 
週末の土曜日(19日)は、羽田空港でのイベントに航空写真家のチャーリィ古庄氏とともにゲストで呼ばれて夕方から参加。すると同じ時間帯に、マンボミュージシャンで日本で唯一の公認サンタクロースとしても知られるパラダイス山元氏も別のイベントで羽田に来ていることを、facebookのスレッド(グループ会話)でのやりとりを通じて知りました。


そこで急きょ、それぞれの時間を合わせて、第2ターミナルに直結する羽田エクセルホテル東急のダイニングバー「フライヤーズテーブル」に集合。同じスレッドの仲間である落語家の柳家三之助さんは残念ながら仕事で参加できませんでしたが、フリー編集者の星裕水さんも駆けつけ、夜の滑走路を眺めながらゆっくりワインを楽しみました。

ちなみにこのグループのスレッド名は「飛行少年+飛行少女と呼ばれて」といいます。いつの間にか、山元さんが命名していました。最初は「飛行少年」だけでしたが、もともとは以前JTBから出したムック『旅客機と空港のすべて』に関わったメンバーで、編集を担当した星さんがそこに加わったことで現在の長いスレッド名に。まあ、そんなことはどうでもいいですが(笑)。

久々の集いのなかで、星さんからは上記ムックに続く“第2弾”制作の相談があり、また山元さんからはちょっとユニークかつ興味深い国内線取材の提案がありました。もちろん、私はその場でどちらも快諾。ムック第2弾も、ユニークな国内線取材も、来年早々に実現する予定です。その報告は、また後日!

S.Akimoto at 00:02|Permalink

2013年10月12日

跳べ! 世界へ

 
生まれは旧東独の東ベルリン。そう聞いただけで、波乱の人生だったろうなと予感させます。幼いころの一番古い記憶──かすかに思い返せるのは3歳のときに見たベルリンの壁で、彼女の小さい頭のなかに「どんなことがあってもあの壁の向こうに行っちゃいけない。行けば殺される」ということが叩き込まれました。


その「彼女」とは、南太平洋の楽園フィジーとの国際交流活動などのNGOボランティアに従事する佐藤真由美さん。私の古い友人です。医師だった祖母の勤務地だった東ベルリンで生まれた佐藤さんは、4歳で文化大革命下の中国に移住し、その後はアメリカで航空工学と心理学を学びます。大学を卒業してからはアメリカン航空を皮切りに、ヴァージンアトランティック航空、エア・パシフィック航空(現フィジー・エアウェイズ)などのエアラインで活躍しました。まだ東独で暮らしていた頃、国際線の機内で会った亡命者とおぼしき少女に「国から逃げるの」と言われ、飛行機は「人生を救う乗り物だ」と思ったことが航空の世界に身を投じたきっかけだったといいます。

私が佐藤さんと知り合ったのは、彼女がエア・パシフィック航空の日本オフィスに勤務していた時代でした。しかしエア・パシフィック航空は、2009年3月で日本路線を撤退し、東京のオフィスを閉鎖。すると佐藤さんはこんどは国連に職を求め、国連職員としてアフガニスタンへ渡ります。「アフガニスタンでは、クルマを武装集団に襲われて同僚3人が死亡した」という報告も聞きました──。

そんな佐藤さんの波乱に満ちた人生が丸ごと、彼女初の著書である自伝『跳べ! 世界へ──エアラインから国連、国際NGOへ』(解放出版社)につづられています。現在も国際NGOのボランティア活動で忙しい日々を送る彼女から先日、同書が届きました。「久しぶりにお会いして、世界の話がしたいです」という手紙が添えられて。9月はほとんどをアメリカ取材に費やし、なかなか時間がとれませんでしたが、その執筆作業もようやく終わりました。なので、佐藤さん──近々ぜひ!

S.Akimoto at 15:52|Permalink

2013年07月20日

米大陸横断飛行

 
今日は久々に「ソーラーインパルス」について書きます。ソーラーインパルスは、太陽エネルギーだけを動力とする有人飛行機で世界一周を目指す夢のプロジェクト。私も当初から取材を続けて各メディアで報告してきたほか、このBlogでも過去に「ソーラーインパルス」「太陽光で24時間飛行」「スイスからの来客」「夢へ大きな一歩」と題して4回に分けて紹介しました。


今年5月からは、アメリカ大陸横断へのチャレンジを続けてきました。終着地のニューヨークを目指してサンフランシスコ郊外の空港を離陸したのが、5月3日。交代で操縦するのは、同プロジェクトのリーダーである二人──スイス人の冒険家で精神科医でもあるベルトラン・ピカール氏(55)と、エンジニア出身の経営コンサルタントでスイス空軍戦闘機や旅客機のパイロットとしても活躍してきたアンドレ・ボルシュベルグ氏(60)です。

彼らとは2010年に来日したときに面会し、いろいろ話しました。そんな旧知の仲なので、プロジェクトの動向は私も気になって仕方ありません。大陸横断飛行を続ける途中、左翼が2メートル以上にわたって避けたという報告を受けたときには、ヒヤリとしました。そのハプニングがあったため、乱気流を抑える目的から着陸時にはエアブレーキが使用できなかったそうですが、それでも何とか無事に今月6日にニューヨークに到着。冒険の旅を終えた二人の満面の笑顔〔写真〕が届いたときには、本当に嬉しかったです。

当初の計画からはやや遅れているものの、ソーラーインパルスは最終目標である世界一周飛行を2015年に予定。そのときは何としても現場に駆けつけ、彼らに直接声援を送りたいと思っています。

S.Akimoto at 00:58|Permalink

2012年12月23日

さよならは言わない

 
航空写真家の小栗義幸氏が亡くなった、という一報が私のもとに届いたのは、アラブ首長国連邦のドバイに到着した今年9月7日の朝でした。彼がずっと癌と闘っていたことは知っていたもの、突然の訃報に接したショックを、遠く離れた地でどうすることもできません。ドバイからリスボンへという1週間の取材スケジュールは動かせないため、無念ながら通夜も告別式も参列できず、彼とはとくに親しかった共通の友人に代理での出席を依頼しました。


小栗氏とは、かつて何度もペアを組み、2006年頃から世界各国をいっしょに取材して歩きました。ドイツ、韓国、デンマーク、シンガポール、オーストラリア、フィジー、タイ、台湾、米国など、いま思い浮かぶだけで10カ国以上におよびます。当時私は、旅を中心テーマとした海外取材の案件が舞い込むと、私と同様に異国の街で飲み歩くのが好きな彼をカメラマンに指名。そんな彼との思い出が、私の記憶の中にあふれるほど詰まっています。

思い出は、いまもまったく色褪せていません。別れの儀式に自分で立ち会えなかったためか、彼が天国に召されたという実感がまるで私の中にないのです。「おい、また海外取材に行くぞ!」と声をかければ、彼がすぐに「了解!」と言って飛んできてくれそうな気がして。

ご両親が落ち着かれた頃に、直接お別れを言うために実家を訪ねよう。そんな思いが昨日、ようやく叶いました。小栗氏とともに取材し、彼が提供してくれたたくさんの写真を添えて著した私の著書は数冊におよびます。上の写真は、オーストラリアのシドニーでの取材の合間に私が撮影しました。2007年10月に、エアバスA380のシンガポールからシドニーへの世界初就航便を彼と取材したときのもので、著書『エアバスA380まるごと解説』のコラム(P.40)でも使用しています。彼との合作であるそれら思い出の本を昨日、彼の実家に持参して仏前に捧げ、ご両親と少し話してきました。

しかし、仏前で結局「さよなら」は言えず、帰り際に私の口から出た言葉は「小栗、またな」でした。私がいまの仕事を継続するかぎり、彼は私の中で生きつづけ、これからもいっしょに世界を飛びまわっている──そんな気がしています。ずっと。

S.Akimoto at 23:17|Permalink

2012年09月01日

偶然の1ショット

 
北欧取材から戻っています。帰国した日は、成田から京成スカイライナーで上野へ。JR上野駅の構内にあるカフェで、NHK宮崎放送局の和田光太郎さんと会いました。あと2週間とちょっとに迫った、NHKラジオの特番『ヒコーキ・ラジオ、NHK001便』(9月17日に羽田空港の特設スタジオから公開生放送)。その番組を仕切る和田さんと、打ち合わせをするためです。


打ち合わせには、番組内で計画している「空美(そらみ)ちゃん」のコーナーに出演予定の一人も同席。いろいろと話を進める中で、飛行機撮影を趣味にしている彼女から「8月23日の午後に成田のさくらの山公園で撮影していたら、スカンジナビア航空のスターアライアンス塗装機が撮れた」と報告を受けました。上の写真が、そのときに撮影したという1枚です。

話を聞いて、私もびっくりしました。スカンジナビア航空のスターアライアンス塗装機は、日本に飛んでくることはなかなかありません。本当に珍しく、そして彼女が撮影したその特別塗装機には、今回の北欧取材に向かうために私が乗っていたのです。

めったに見ることのできない特別塗装機に偶然にも成田で遭遇し、撮影したその機内にはこれまた偶然にも私が乗っていた──。空の世界にさまざまな思いを抱くを人たちのネットワークが、にわかに濃密になってきているなあ。そんなことを感じた出来事でした。

S.Akimoto at 00:08|Permalink

2012年08月02日

エアアジアXのCEO

 
3社目の和製LCC、エアアジア・ジャパンが昨日、成田/福岡線でデビューしました。私はその初フライト取材には行けなかったのですが、同グループで中長距離路線を担うエアアジアXのCEO、アズラン・オスマンラニ氏〔写真〕が就航に合わせて急きょマレーシアから来日。連絡をいただき、夕方から汐留のコンラッド東京で面会してきました。


エアアジアXが日本(羽田)に最初に乗り入れたのは2010年12月で、あれからもう1年半以上が経過しました。けれどオスマンラニ氏と直接会って話すのは、じつは昨日が初めて。同社日本支社長の坪川成樹氏とマーケティングマネージャーの梶原純子氏も同席し、和気あいあいの雰囲気の中、1時間ほどいろいろ情報交換してきました。

なかでも印象深かったのは、クアラルンプールを拠点にした同社のネットワーク戦略です。その中に、じつにユニークな路線がいくつかあり、私も「いずれ取材したい」と思っていたとっておきのプランを披露しました。その提案には、オスマンラニ氏もとても興味をもった様子。話はとんとん拍子に進み、今年秋にクアラルンプールの本社訪問を約束しました。

実際に私が飛ぶのは、おそらく11月ごろになるでしょう。そこでオスマンラニ氏と再会を果たしたあと、クアラルンプールからある国のある都市へ向かうエアアジアXの感動的なフライトをレポートする予定です。

S.Akimoto at 12:17|Permalink

2012年06月17日

大切な一日

 
7月10日に角川書店から出る新著の追い込み作業が続いています。原稿については先週、取材で訪れていた台北で最後の1章を書き上げて入稿。週後半からは送られてきた初校ゲラの著者校正に入りました。届いている全体の3分の2ほどのゲラを前に、今日も朝から書斎にこもって格闘しています。


この作業を明日、お昼までに済ませ、午後からは東京・飯田橋にある角川書店へ。そこで残る3分の1の初校ゲラを受け取り、校正室で夕方までに全ページの“赤入れ”を終える予定です。「角川oneテーマ21新書」の一冊として刊行する今回の新著は「航空業界の未来」をテーマにしたビジネス書寄りの内容ですが、私がこれまで世界の空を旅しながら遭遇したエピソードなども随所に書き込みました。“読み物”としても満足していただけると思いますので、7月10日の発売をどうぞ楽しみにお待ちください。

そして明日、角川書店で校正作業を終えたあとは、夕方から銀座である人と再会します。

旅客機の中でも、私は“マッハの怪鳥”といわれた超音速旅客機コンコルドが大好きでした〔写真〕。中学生の頃、日本に初飛来したコンコルドの試作機を目にし、「いつか自分の手であんな飛行機を設計(デザイン)してみたい」と思ったのをいまでも鮮明に覚えています。それが航空工学に進んだきっかけでもありました。その後、私は物書きの道へ。そしてコンコルドは2003年10月に、後継機の登場を待たずして歴史に幕を下ろします。いつかコンコルドをテーマに何か書いてみたい──そう考えていた私に「コンコルドの歴史についてメディア化する仕事を手伝わないか」と声をかけてくれたのが、明日何年ぶりかでお会いするクリエイターの方でした。

角川書店からは初めての一冊となる新著の校了作業と、私の希望をかなえてくれたクリエイターの方との再会と──明日は私にとってとても大切な一日になりそうです。

S.Akimoto at 22:30|Permalink

2012年06月09日

ゴールラッシュ

 
サッカーW杯アジア最終予選の日本対ヨルダン戦。同大会の公式スポンサーであるエミレーツ航空の日本支社長、リチャード・エンゲルマン氏から「いっしょに応援に行かない?」と埼玉スタジアムのVIP席に招待をいただいて、夕方から試合を観戦してきました〔写真=私のとなりがエミレーツ航空日本支社長のエンゲルマン氏〕。


いやあ、日本は強かった! 前半から相手ゴールを攻めまくり、本田選手のハットトリックを含めて結果は6対0の完勝です。ヨルダンのハマド監督は試合後、報道陣に日本代表のチーム力について聞かれ、真顔で「きょうの出来ならブラジルにも勝てる」と答えていました。先ほど自宅に戻りましたが、このところ書斎にこもりきりでたまっていたストレスも、これですっきり解消。また気分を新たに、執筆活動に集中できそうです。

さて、日付は変わって、6月9日の土曜日になりました。明日の10日からまた海外取材に出るので、それまでに現在書き進めている書籍の入稿をすべて終えなければなりません。日曜日は午後の便なので、デッドラインまであと36時間ほどです。頑張らないと。

まあ、10日からの取材はあるエアラインの新しいビジネスクラスシートがテーマですので、それほど大変ではありません。デスティネーションの取材もありますが、今回は旅行ライターを伴うことにしたので、現地では私はわりとゆったり。のんびり街歩きをしながら、おいしいものでも食べて過ごそうと思います。そのためにも、いま取り組んでいる作業をきっちり終わらせていかないと。さ、いまからまた仕事モードに!

S.Akimoto at 00:31|Permalink

2012年06月04日

航空の未来を語る

 
米国ワシントンD.C.からフランクフルトを経由して今朝、帰国しました。アメリカ時間とヨーロッパ時間に合わせてきた身体がまだ元に戻り切っていませんが、だからといって今日はのんびりもできません。成田から自宅に着いてシャワーを浴び、スーツに着替えて、昼過ぎにはユナイテッド航空の日本支社へ。約束していた同社アジア太平洋&大西洋地区営業担当副社長、ジェームズ・ミュラー氏とのインタビューに臨むためです。


何も、帰国したその日に──と思うかもしれません。が、ミュラー氏は今日の夕方の便でシカゴへ発ってしまうとのこと。今回のミュラー氏との対談は現在書いている本に収録するので、どうしてもその前に時間をとってもらわないと間に合いません。そこで同社の広報にお骨折りをいただき、私が帰国してからミュラー氏が日本を発つまでのわずか数時間の間でのインタビューが実現しました。

ミュラー氏と再会の握手を交わして、さっそく本題に移ります。これからの10年で航空界はどんな方向に進むか? 行く手を阻む要因があるとすれば何か? 日本の航空行政への注文は? ミュラー氏の見解はじつに興味深く、私からの追加質問も尽きません。あっという間にタイムアウトになってしまいましたが、対談に立ち合った担当編集者は「とても密度の濃い、聞いていてワクワクする内容だった」と感想を言っていたので、よかったなと思います。

ユナイテッド航空は先日、ボーイング787で2013年春に成田/デンバー線を開設すると発表しました。対談の中では当然、その話題も出て、なぜデンバーなのかの理由も詳しく聞いています〔写真はユナイテッド航空塗装の787〕。今日のインタビューは、先日実施したジェットスター・ジャパンの鈴木みゆき社長との対談とともに、7月に刊行する「角川ONEテーマ21新書」に収録します。「航空の近未来」というちょっと難しいテーマに挑み、作業は現在、最終段階に。週末にはまた海外に出なければならないので、今週はとにかく執筆に集中するつもりです。

S.Akimoto at 22:10|Permalink

2012年06月01日

友との再会

 
6月1日の初就航を前に、昨日はフランクフルト空港に隣接するルフトハンザの整備ハンガーで747-8インターコンチネンタルの機体のお披露目式が開催されました。写真は主翼を真下から仰いだカットですが、とにかく大きい。大型機が4機収納できる巨大ハンガーにはA380も展示され、巨人機の揃い踏みとなりましたが、サイズではA380の引けをとりません。A380よりも長い76.3メートルの全長は、世界一です。


ところで、ルフトハンザの広報部門はエリアごとに担当が分かれていて、日本を含むアジア太平洋地区のヘッドクオーターはシンガポールに置かれています。ドイツからシンガポールに赴任している同地区の広報リーダーで、私と親しいP氏とも、昨日は1年半ぶりに現地で再会。真新しい機体の外周やキャビン内部を案内してもらいながら、仕事のこと、プライベートのことなどをいろいろ話しました。そして、いよいよカウントダウンの始まったファーストフライトのことに話題が移ったときです。

「僕は、明日のフライトには乗らないんだ」と彼はぽつりと言いました。「僕はフランクフルトで、留守番」
「え、どうして?」と私。「別の仕事でも入った?」
「ううん、そうじゃない。席が全部埋まってしまったのさ」

この記念フライトに招待するメディアは、当初は就航地のドイツとアメリカだけを考えていたといいます。ところが、他の国や地域からも取材の申し込みが殺到。そこで数人のジャーナリストを追加で搭乗者リストに押し込んだら、予定していた自分の席がなくなってしまったそうです。

一人でも多くのジャーナリストに感動を味わってもらいたかったからね──そう言いながら、ちょっと淋しそうな表情のP氏。気持ちはとてもよくわかります。そして、追加で無理やり搭乗者リストに押し込んだという他の国のジャーナリストの一人は、間違いなく私でしょう。申し訳ないなあとは思いながら、かといって「じゃあ私は遠慮するから、乗ってきなよ」などと言うわけにもいきません(言う気もないし、笑)。私、頑張るからね。頑張って取材して、日本の読者に747-8インターコンチネンタルの素晴らしさを伝えるね。彼の横顔をちらっと見ながら、私は心の中でそう呟きました。

S.Akimoto at 13:05|Permalink

2012年05月13日

それぞれの異国

 
つい先ほどまで、成田空港のA滑走路に近いホテル、マロウドインターナショナル成田にいました。目の前の迫力ある離陸シーンにカメラを向けるヒコーキ大好き女子──“空美ちゃん”たちといっしょに〔写真〕。今日はそこで、成田空援隊プロデュースによる女子会イベントを開催。講師役の航空写真家、チャーリィ古庄氏に呼ばれてゲスト参加してきました。


現在はJALの整備ハンガーでの撮影教室が続いていますが、私は先に失礼して、空港第1ターミナルにあるデルタ航空のラウンジ「スカイクラブ」に来ています。明日からアメリカ南部の街、アトランタで取材があり、これから16時15分発のDL284便でロサンゼルスへ。1日だけLAで休暇をとったあと、月曜日に移動してアトランタ入りする予定です。

そのことを古庄氏に話したら、彼から「えー、私も今日の夕方の便でLAに行くんですよ」と言われ、お互いにびっくり! 同じ日に別々にLAに飛ぶなんて、本当に奇遇です。古庄氏が利用するのは、19時15分発のシンガポール航空SQ012便。私は現地時間の朝9時40分にLAに到着し、その3時間後に彼も着きます。LAではそれぞれに予定があるものの、普通ならそこで「夕方から合流していっしょに食事でも」という話になるのでしょう。が、私たちの間では、どちらからもそんな提案が出ません。いいえ、決して不仲なわけではないんです(笑)。ただ、私は「どうせチャーリィは夜も空港に張りついて撮影を続け、飛行機といっしょに過ごしたいのだろう」と確信していますし、古庄氏は古庄氏で「秋本はダウンタウンの繁華街で飲んだくれるつもりだろうから」と私からの誘いを警戒しているに違いありません。だから「合流しよう」などという話はどちらからも出ないのです。

いつも仲のいい二人が、偶然にも同じ日の同じ時間帯にLAに降り立つというのに──周囲の人は「へんな関係だな」と思って見ているでしょうね。ですが、こればかりは仕方ありません。価値観の違いですから(笑)。さて、ではそれぞれのLAを目指して、まずはお先に出発します!

S.Akimoto at 14:39|Permalink

2012年03月25日

奇妙な交流会

 
下の写真──左に写っているのは、マンボミュージシャンで国際サンタクロース協会の公認サンタとしても活躍する、ご存じパラダイス山元さん。そしてその隣、中央で私の新著を持ってくれているのが、こちらもご存じ落語家の柳家三之助さんです。週末の土曜日、この奇妙な組み合わせによる交流会が実現しました。


ミュージシャンと落語家と、航空ジャーナリストの私。一見、何のつながりもないように思えるかも知れません。じつは、山元さんは1年で1,000回も飛行機で旅をする“マイルの達人”です。一方の三之助さんも飛行機旅行が大好きで、中部国際空港で「セントレア寄席」などを続ける“空港の達人”。二人とは、私が監修して2月末に発売になったJTBムック『旅客機と空港のすべて』に航空ファン代表として登場していただいた縁で、交流が生まれました。

そしてここは、東京・荻窪にある山元さん経営の餃子専門店「蔓餃苑(まんぎょえん)」。山元さんは「芸能界で餃子を作らせたら一番うまいのはタモリかパラダイス山元」と言われるほどの“腕”の持ち主で、仕込みから調理、接客までをすべて一人でこなしてしまいます。もっとも、店とはいっても限定1,000人の完全会員制で、普段はオープンしていません。毎日送信されるメールでのみ、その日の開店時間を会員に告知。昨夜はその山元さんの、まるで芸術ともいえる作品(餃子)の数々を味わいました。写真で山元さんが手にしているのは、最後に締めの一品として焼いてくれたイチゴ入りのデザート餃子です。

おいしい餃子でお酒も進み、旅と飛行機の話が尽きません。気がついたら、アッという間に終電の時間でした。山元さんから「今度どこか会場を借りて、この3人で“空の旅”をテーマにしたトークイベントを開きましょう」と提案され、三之助さんも私も無条件で賛同。近く読者のみなさんにも、イベントの具体的な案内ができるかも知れません。

S.Akimoto at 11:45|Permalink

2012年01月30日

宇宙へワープ

 
いきなり宇宙の話で、すみません。素粒子や暗黒物質など宇宙の根幹に関わる謎の解明に取り組んできた理論物理学者の村山斉さんが先週、集英社から『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』という新刊を出しました〔写真〕。これは“村山宇宙論”の決定版といえるかも知れません。


太陽はどうして燃え続けていられるのか? 目に見えない暗黒物質の存在がどうやってわかった? 宇宙はなぜこんなにも人間に都合よくできているのか? 宇宙に関する謎をこれほどやさしく解き明かした解説本は、かつてなかったように思います。

この本の編集を担当した集英社インターナショナルの本川浩史さんは、じつは私にとっても頼れる仕事のパートナーです。今回の新刊は、彼が手がけてきた「知のトレッキング叢書」という新シリーズの第1弾。ようやく刊行の運びになった先週末、彼は私に連絡をくれました。「発売を記念して著者(村山斉氏)の講演会を開催するので、来ませんか?」と。詳細は下記のとおりです。

村山斉講演会〜宇宙はなぜこんなにうまくできているのか〜
日時:2012年2月4日(土)19:00開演(18:30開場)
会場:新宿・紀伊國屋ホール(新宿本店4階)
料金:1,500円(全席指定・税込)
前売:キノチケットカウンター(紀伊國屋書店新宿本店5階)
電話予約:紀伊國屋ホール(TEL=03-3354-0141)
※受付時間はいずれも10:00〜18:30


2月4日、うかがおうと思います。最近ずっと書斎にこもる日々が続き、精神的にかなり消耗しました。週末はおそらく一段落しているので、次の新たな仕事に向かう前に、壮大な宇宙に思いを馳せてリラックス&リフレッシュしようかな──と。終演後には村山さんのサイン会もあるそうですので、興味のある方はぜひ!

S.Akimoto at 01:30|Permalink

2012年01月13日

A380同窓会

 
銀座のイタリアン・レストランで今夜、とある集まりがあり、いまその帰り道でこれを書いています。開催した会の名前は「A380同窓会」。2007年10月25日にエアバスのオール2階建て機A380がシンガポール/シドニー線で世界初就航したとき、日本から私を含めて4人のジャーナリストが招かれました。その4人と、私たちの就航初便取材を舞台裏でおぜん立てしてくれたシンガポール航空関係者4人の、計8名による同窓会です。


世界デビューしたA380に日本人として搭乗したのは、航空写真家のチャーリィ古庄氏と小栗義幸氏、そして小学館の元『Lapita』副編集長・安藤正氏と私の計4人。私たちの取材活動をバックアップしてくれたのは、当時シンガポール航空の広報部長だった壬生塚明氏と現在も現役広報スタッフとして活躍中の吉元美佳さん、さらに社外スタッフとしてPR業務を請け負っていた小林直美さんと田中紘子さんの4人です。アフリカ取材から帰ったばかりの古庄氏は残念ながら参加できなかったものの、残る7人は元気に再会を果たしました。

あのときの搭乗取材をベースにして、私は2008年3月に『エアバスA380まるごと解説』(サイエンス・アイ新書)を刊行しました。古庄氏や小栗氏、安藤氏も「あの経験がその後の自分たちの活動に少なからず影響を及ぼした」と口々に話します。そこで安藤氏より「久しぶりに当時のメンバーで集まらないか」と提案があり、今夜の会が実現しました。

安藤氏が予約してくれたのは銀座の「LAZY」という本格イタリアンです。魚介類を中心にした料理を楽しみながら、小林さんと田中さんが「この会を1回で終わらせるのではなく、ずっと続けていきましょう」と提案。小林さんは現在、外資系製薬会社の広報マネージャーとして、田中さんもライカジャパンの広報スタッフとして活躍を続けています。「5回とか10回の節目には、A380が世界で最初に離陸したシンガポールで開催するのはどうですか?」とのプランも持ち上がり、全員が「絶対に実現しよう」と約束して4時間におよんだ第1回開催はお開きになりました。

S.Akimoto at 23:44|Permalink

2012年01月10日

富士山の思い出

 
いまから15年ほど前のことです。ある雑誌の仕事でJR東海の1年生車掌、Uさんを取材したとき、シカゴから旅行に来ていた年配の夫妻について彼はこんな話をしてくれました。Uさんはその日、東京から新大阪までの乗務を担当。そこにアメリカ人夫妻が乗ってきたそうです。


「東京駅を出発して間もなく、切符の検察で各車両を回っていた際に、アメリカ人のご夫妻から『富士山はどっち側に見えますか?』と尋ねられたんです。進行方向右手に、と答えてから、私は伝えました。『でも今日の静岡地方はあいにくの天気で、富士山は見えないと思います。残念ですが』と。ご夫妻はとてもがっかりした様子でした。富士山を間近で見るというのが、日本に来る楽しみの一つだったのですね」

ところが、三島を過ぎてしばらくすると、上空を覆っていた鉛色の雲が切れ始めました。Uさんはそれを見て、急いで夫妻が乗っている車両に走って「見えるかもしれません!」と教えたそうです。車両を駆け抜けていく車掌の慌てぶりに、他の乗客は何ごとかと驚いたに違いありません。

「新大阪駅に着いたら、私が降りるのをご夫妻はホームで待っていてくれました」とUさんは続けます。「あなたのおかげでいい思い出ができたと、ご夫妻は私の手を握って何度もお礼を言ってくれまして……。この仕事に就いてよかったと心から思えた瞬間でした」

いま、大阪に来ています。昨日の午後の便で、急に思い立って。途中、真っ白に雪を被った富士山を眼下に眺めながら、Uさんの話がふと脳裏によみがえりました。彼はいまも新幹線の運行に関わる仕事をしているのでしょうか? 元気に続けているといいな、と思います。15年も前の話なので、もう顔もうまく思い出せませんが。

S.Akimoto at 07:26|Permalink

2011年10月16日

にほんのあかり

 
私の取材用のバッグに、丸い形のバッジがつきました〔写真〕。つけたのは、ジャカルタで取材中の今月11日。東日本を予期せぬ大地震が襲った3月11日から、ちょうど7カ月目のことです。ある編集者の方の提案で始まった「にほんのあかり」というプロジェクトに、ささやかですが私も意を同じくして。


バッジ右サイドに、ろうろくが2本並んでデザインされているのがわかりますか? 白いのと黒いのと。これは、震災のあった11日を2本のろうそくに見立てたもので、忘れずに考え続けましょうというメッセージが込められています。1本は被災地の人たちのために、1本はこれからの未来のために、小さな灯をともして。制作しているのは私の知り合いの若手写真アーチスト、kaenさんです。彼女なりにできることを模索した結果、バッジを作って利益分をすべて義援金として送ろうと活動を始めました。すでにいろいろなデザインのバッジがラインアップされています。

kaenさんは千葉県の佐倉に在住で、普段はなかなか顔を合わせる時間が持てません。10月9日に米西海岸から帰国し、翌朝ジャカルタに飛ぶため成田に1泊した際に、同市内のイタリアンレストランで会いました。私の取材パートナーである成田在住のチャーリィ古庄氏と、kaenさんの師匠でやはり佐倉に拠点を置く写真家の今井聡志さんの4人で。以前からバッジを購入したいと思っていた私にkaenさんが選んでくれたのは、紺碧の空に白いヒコーキ雲が筋を引いているデザインのものでした。

バッジはいまも、私のバッグの上で光っています。私と旅を始めたのは、冒頭に述べたように震災から7カ月目の10月11日。これからずっと海外取材のお伴をしてもらうことになりそうです。

S.Akimoto at 01:02|Permalink

2011年08月13日

暑気払い

 
今年秋に刊行予定の新著の原稿書きが、ピークを迎えています。筆が運びはじめると時間が経つものつい忘れてしまいますが、書斎にずっとこもっているわけにはいきません。例によって早朝から昼までを執筆の時間にあてて、午後は取材や打ち合せに出かけ、そして夕方からは待ち合わせの場所へ。いろんなジャンルの人たちと会って新しい情報をインプットしていかないと、いずれアイデアもイマジネーションも朽ち果ててしまいます。


この何週間かは、いわゆる同業者──記者仲間との交流が続いています。今朝もPCを開いたら、旅&グルメライターのFからお知らせメールが届いていました。彼女が幹事役になって現在、旅記者たちによる「暑気払い」の計画を進めてくれています。その会を、私の海外取材からの帰国を待って開催してくれることに決定。「○月○日でお店を予約しました」という連絡でした。今週ドイツのデュッセルドルフを旅行中のTや、これからデンマークのコペンハーゲンへ向かうHなど、旅のスペシャリストたちが集まる楽しい会になりそうです。

昨日の金曜日は、大先輩であり、私のよき“兄貴分”でもある航空評論家の青木謙知さんらと東京・池袋で飲みました。兄貴分、と私が青木さんを慕う理由の一つは、その酒の強さです(笑)。私も弱いほうではありませんが、青木さんには勝てません。取材先などで顔を合わせるたびに、必ず「近いうちに飲もう」「ええ、ぜひ!」といったやりとりになるのですが、お互いに忙しくてなかなか具体化しません。昨夜は、私と青木さんの両方を担当するソフトバンククリエイティブ・科学書籍編集部の益田賢治編集長の呼びかけで魚料理が旨い池袋の店に集結。7月に刊行した『ANA旅客機まるごと大百科』『JAL旅客機まるごと大百科』で“益田ファミリー”に加わった航空写真家のチャーリィ古庄さんも合流し、遅くまで盛り上がりました。

それぞれに「航空」というジャンルで仕事をしているものの、出てくる話題は航空に限りません。益田編集長も含めて興味の対象も生き方も各者各様なので、飛び交う話もじつに刺激的。ちょっとここでは書けないことも含めまして(笑)。

さて、今日はドイツで東西冷戦の象徴となった「ベルリンの壁」が建設されてちょうど50年。上の写真はかなり古いものですが、以前ハンブルグでルフトハンザの技術拠点を取材した際に、青木さんと前回のBlogで紹介した毎日新聞記者の黒川将光さんと休暇をとってベルリンに立ち寄ったときのものです(左が青木さん、黒川さん撮影)。朝から目的もなく3人でベルリンの街をぶらぶらし、少し歩いては誰かが「ノド渇いたなあ」と言い出して、近くのカフェに入ってビールタイム。そんなことを一日繰り返していたら、夕方にはみんなかなり酒が回って足もとがふらついていました。

S.Akimoto at 10:14|Permalink

2011年08月10日

猛暑の羽田にて

 
週末に開催された成田でのイベントも盛況のうちに終わり、ホッとひと息。“遅れ”を取り戻そうと早朝からPCに向かった週明けの月曜日は、いつにも増して筆も進みます。そして昨日は午後から羽田空港で航空写真家のチャーリィ古庄氏と再び合流し、毎日新聞社のインタビューを受けました。


インタビューといっても、決して堅苦しいものではありません。相手は、航空に詳しいベテラン記者の黒川将光さん。彼が成田支局の支局長だったときから交流を続け、海外取材にも何度かいっしょに出かけた親しい記者仲間です。羽田空港国際線ターミナル駅に着くと、乗り物ファンのためのWebサイト『乗りMai』の担当記者である米田堅持さんと共に改札で待っていてくれ、空港内のカフェで4人で2時間近く楽しく話しました。

そしてインタビュー終了後は、われわれ二人を撮影をしたいというので屋上の展望デッキへ〔写真〕。東京の都心部では今日も午後から35度を超えたところが多く、立っているだけで汗がしたたり落ちてきます。しかしそんな猛暑の中でも、夏休みでたくさんの子どもたちがお母さんたちといっしょに飛行機見学に来ていました。男の子ばかりでなく、女の子も少なくありません。コンパクトデジカメで夢中で飛行機を狙う様子を見ていると、思わず笑みが浮かびます。この子たちも、日曜日のBlogで紹介した「空美ちゃん」予備軍なのかな──などと考えながら。

本日受けたインタビューは、毎日新聞・夕刊の「人模様」というコラムで8月の終わりに掲載されるほか、前述したWebサイト『乗りMai』でも新刊の紹介を兼ねて取り上げてもらえるそうです。掲載日などが決まったら当Blogでもお知らせしますので、ぜひご覧くださいね。

S.Akimoto at 00:39|Permalink

2011年08月07日

空美ちゃんの話

 
写真は、成田空港で出るゴミの処理を一手に担うナリコークリーンセンターの屋上です。そして目の前に広がる滑走路に望遠レンズを向けるのは、4人の“空美(そらみ)”ちゃんたち。昨日のマロウド成田でのイベント「成田写真三昧の旅」で、主催した成田空援隊の最高顧問である片山敏宏成田市副市長らが同センターと交渉し、この最高のロケーションでの撮影会が実現しました。


この4人の空美ちゃん──石井真奈美さん、小松美紀さん、森口菊枝さん、久保田美紀さんは、いずれも航空写真家・チャーリィ古庄氏の“弟子”に当たる人たちです。古庄氏が講師を務める「キャノンEOS学園・航空フォト講座」を受講してから交流の輪が広がり、空美ちゃんの愛称で呼ばれるようになりました。

「呼ばれるようになった、というより、私たちがそう仕向けたんですけどね」と笑いながら話すのは石井さん(写真手前)です。「鉄道好きの“鉄子”とか、登山愛好家の“山ガール”みたいに、私たちにも愛称が欲しいよねということで話し合って。4人のうち3人の名前に“美”がつくので、空美って呼んでもらうことにしました」

「飛行機って男の世界の思われがちですが、じつは女性でも好きな人が多いんですよ」と言うのは森口さん。「前にさくらの山公園で一人で撮影していたら、隣でいっしょに空を見上げているおばあちゃんがいて。こんにちはって挨拶したら、ニコッと笑って“飛行機はずっと見ていても飽きないよねえ”って言っていました」

今後はもっともっといろんな年代の人たちに女子撮影隊の仲間に加わってほしい──そう呼びかける空美ちゃんたち。各年代で旅客機のとらえ方が違うので、年齢層が広がるとたしかに面白いかも知れません。「そうですね」と私も同意しながら、一方で「60歳や70歳の人たちも“空美ちゃん”て呼ばれるのかなあ」と余計なことを考えました。

さて、一夜が明けて、いまは日曜日の朝7時。A滑走路の目の前に位置するマロウド成田の部屋から外を覗くと、ちょうどクアラルンプールからのJAL機とハノイからのベトナム航空機が相次いで降りてきました。早朝に飛来する一番機を狙うと言っていた空美ちゃんたちは、いまごろはきっと撮影モード全開でしょうか。いい写真が撮れることを、祈っています。

S.Akimoto at 07:09|Permalink

2011年08月04日

なでしこ監督と私

 
私はもともとノンジャンルの書き手で、航空ジャーナリストのほか劇作家などとしても活動してきました。ちょっと古いですが、下の写真は2004年に上演した『桜窃盗団』という作品の公演ポスターです。その何年か前には『駒田さんの余生』という脚本を、もっと前には『高崎線上り電車』を書き、これらも東京近郊のある地域で舞台化されました。『高崎線上り電車』は、見知らぬ他人同士の心が小さな事件をきっかけに一つにつながっていく様子を描いた喜劇で、物語は東京のベッドタウンから都心に向かう電車の中でのこんなシーンから始まります──。


 車内にいきなり誰かの電話がけたたましく鳴り響く。
 自分のではないかと、一斉にカバンやポケットから携帯を取り出す乗客たち。そのうちの一人、学生風の若者が、手に持った“あるモノ”を呆然と見ながら呟く。
「あ、いけない。携帯と間違えてテレビのリモコン持ってきた!」


このシーンは実話をベースに書きました。私の親友の一人に、TというサッカーJリーグの関係者がいます。彼は実業団チームのNTT関東の選手として活躍し、Jリーグ発足後はNTT関東を母体に誕生した大宮アルディージャのマネージャーに就任。その当時、Tは私に「チームの同僚で、遠征先からの帰りの電車で携帯を取り出したら、泊まってた旅館のテレビのリモコンを持ってきちゃってた“大ボケ”がいたよ」という話を披露してくれました。まだ携帯も折畳み式ではなく、初期の細長いタイプが主流だった時代です。

Tは現在、Jリーグやなでしこリーグの試合の公式立会人であるマッチコミッショナーになり、全国を飛び回っています。その彼とつい先日、私は久しぶりに会い、なでしこジャパンが世界一になった直後だっただけに会話も弾みました。

「なでしこジャパン、すごかったね」と私。「そういえば、佐々木則夫監督もNTT関東から大宮アルディージャへ移った人でしょ。Tも彼のこと、よく知ってるの?」
「知ってるも何も、ずっといっしょにやってきたから」とTは言いました。「佐々木はオレの二つ後輩だよ」
「へえ、そうなんだ。テレビで見ると、面白い人だよね。普段からあんな感じなの?」
「うん、あのまんま。昔っから超天然で。ほら、ずっと前に話しただろ。遠征先の旅館からテレビのリモコン持ってきちゃって、電車に乗るまで気づかない奴。それ、佐々木だよ」

びっくりしました。旅館に連絡をとらせたら、佐々木監督の携帯は部屋のテレビ横のリモコン置き場に立てかけてあったそうです。それが佐々木監督の話だとはつゆ知らず、私は同エピソードをヒントに喜劇を書き進め、舞台脚本が生まれて実際に上演される──。思わぬ人と、思わぬところでつながっていたことを知り、不思議な気持ちになりました。

S.Akimoto at 00:04|Permalink

2011年07月26日

夏服のサンタ

 
今日はサンタクロースについての話題を一つ。ずいぶん時期外れで恐縮ですが(笑)。日本からみると季節が真逆になる南半球の国々は、12月のクリスマスシーズンを夏場に迎えます。オーストラリアに住む友人から12月になると届くカードには、よく水上スキーに乗ったサンタなどが描かれていました。


さて、成田空港に昨日の朝、そんな薄着姿のサンタが降り立ちました〔写真〕。彼の国籍はオーストラリアではなく、北欧フィンランドです。つまり“本家本元”のサンタが、わざわざ夏服に着替えて猛暑続きの日本へ。クリスマスでもない時期に来日した目的は、東日本大震災の被災地を訪問し、子どもたちにプレゼントを届けるためです。

このサンタはフィンランド政府公認で、普段は同国で世界中の子どもたちから届く手紙や電子メールに返事を書いたり、トナカイの世話をしながら過ごしています。サンタのオフィシャルエアラインであるフィンエアーで成田に到着した彼は、「震災のニュースを聞いて被災地の子どもたちのことをずっと気にかけていた」と言いました。今回の被災地訪問を彼に依頼したのは、4月7日のBlog「魔法のミルク」でも報告した、被災地の赤ちゃんに水のいらないミルクを届けたフィンランド在住の主婦・竹本悦子さんらのグループです。ちなみにサンタが着ている夏服は、同地在住のデザイナー・大田舞さんが制作しました。

サンタが大きな袋に入れて担いできたのは、フィンランドの企業が寄付したお菓子1,000個、衣類210着、靴100足などです。今日はさっそく、福島県双葉町から多くの人たちが避難している埼玉県加須市の旧騎西高校を訪れると、子どもたちは思わぬプレゼントにみんな大喜び。明日以降は宮城県の利府(りふ)町や南三陸町などへ向かい、子どもたちとサッカーをしたり、ミニツリーの点灯式などに参加する予定です。

異国の地で暮らす日本の人たちがサンタに被災地訪問を依頼し、それを引き受けたサンタに、こんどはフィンエアーが無償でのチケット提供を申し出る。航空ジャーナリストの立場としては、そんなエアラインを旅行者たちが応援することでさらに心が一つになり、支援の輪が大きく大きく広がっていけばいいなと願っています。

S.Akimoto at 23:11|Permalink

2011年06月13日

友人作家の新作短編

 
何件か重なった取材と打ち合せを終えてオフィスに戻ると、発売になったばかりの文芸誌『すばる』(集英社)の7月号〔写真〕がポストに届いていました。先週のことです。送ってくれたのは、友人であるスイス人作家、デビット・ゾペティ氏。付箋が貼られたページを開くと、「到着ロビー」というタイトルの彼の新作短編小説が掲載されていました。


デビット・ゾペティという作家、ご存知ですか? 1996年に「いちげんさん」で第20回すばる文学賞を受賞し、その年の芥川賞候補にもなりました。スイス生まれで、ジュネーヴ大学日本語学科を中退して同志社大学に入学。卒業後はテレビ朝日に初の外国籍社員として入社し、当時、久米宏さん司会の『ニュースステーション』でディレクター兼記者としても活躍しました。テレ朝を退社してからも、母国語ではない日本語で創作活動を続けているユニークな作家です。

さて、そのデビットから「いまシンガポールから成田に向かう旅客機の機内で始まる小さな物語を書いているんだ」と聞いたのは、去年の夏でした。

へえ、どんな話なんだろう。興味津々でした。聞くと、成田に到着前の機内である事件が起こるらしい。その背景をできるだけリアルに描こうといろいろ情報収集しているというので、私もわかる範囲のことを伝えました。どの時間帯のフライトがどんな機材で運航されているか? その機材のキャビンレイアウトは? そしてデビットが考える「ある事件」が機内で発生した場合、一般に機長や客室乗務員たちはどう行動すると考えられるか?

完成したデビットの最新小説「到着ロビー」を、私もさっそく読みました。雲の上で始まる奇妙な物語が、彼特有の美しい日本語で紡がれてゆきます。『すばる』7月号は書店の文芸誌コーナーに置かれていますので、興味のある人は手に取ってみてください。

S.Akimoto at 00:16|Permalink

2011年05月10日

被災地からの報告

 
欧州系エアラインの広報業務に携わる岩手県出身の知人、Kさんから便りがありました。実家で法事があり、Kさんはこの連休中にクルマで帰省。その途中で被災地に足を伸ばし、ボランティア団体に登録して陸前高田小学校の校庭の瓦礫を撤去する仕事を手伝ってきたそうです。以下に便りの一部を紹介しましょう。


 海岸から2キロ近く離れた高台にあって、本来は避難所になっているはずの小学校の校庭に、流されてきたガラスや茶碗などのかけらが散乱。包丁やハサミまであり、10センチほどの汚泥とともに埋もれています。そこをスコップを使って掘り、人海戦術でかけらや埋もれたゴミを撤去するという作業でした。
 本来は家族団欒の象徴とも言えるキティちゃん柄の茶碗や、ミッキーマウスのスプーンが、無残な姿になって校庭の危険物に。当日は500人近く集まったボランティアが班分けされ、この作業は60人で担当しましたが、1日作業しても校庭の3分の1がやっと整備された程度です。被災者の家族と思われる方々が時折、喪服姿で訪れます。クレーン車で取り壊される住宅が最後の悲鳴のように崩れていく轟音に、手を止め、心のなかで合掌しながらの作業でした。

(中略)仙台空港にも寄ってみました。この空港はまだ岩手で仕事をしていたころ、娘が3歳のときに家族で沖縄に旅行したときに利用し、娘が高2になったいまでも「人生で最も楽しかった旅行」と言っている思い出の空港です。
 瓦礫の山になっている駐車場。止ったままの発着表示板。壊れたターミナルビルのなかに仮設カウンターを設置し、発電機による限られた電源のなかで懸命に運航を続けているスタッフたち。そんな彼らを見るにつけ、これは記録として残し、業界関係者に伝えるべきではないかという思いに駆られ写真を数枚撮りました。


上の写真は、送ってくれた何枚かのうちの1枚です。便りの最後には「きっといつかは復旧復興し、乗り越えられると信じています。被災地岩手の平泉が世界遺産へ登録の見込み、という嬉しいニュースにも接しました。“旅”というのは平和があってこそ心の底から楽しめるもの、ということを改めて考えさせられたGWでした」と書き添えてありました。Kさん、私も同感です。貴重な報告をありがとう。

S.Akimoto at 00:02|Permalink

2011年04月18日

頭がプチ・パニック

 
新聞や雑誌からのインタビューへの対応で、ちょっと忙しい日々が続いています。現在は私自身の原稿書きの仕事が山積み状態ということもあり、会ってお話しする時間がなかなかとれません。で、この1、2週間に限っては記者の方の質問に電話でお答えするということで、了解をいただきました。


先週まで何度かやりとりした媒体は『週刊新潮』で、テーマは「原発事故によるエアラインの路線や運航スケジュールへの影響について」。今週号あたりに記事は載ると、たしか言ってたかな? 同じ頃に、アジアの国々で発行されている経済ビジネス情報紙『NNA』のシンガポール支局の記者からもインタビューを受けました。こちらは「シンガポール航空の躍進の秘密」といったテーマで、本日付けの号で記事になっています(Web版はこちら。上の写真はイメージです)。

ゴールデンウィークを前に、私自身の「書く」作業もピークの時期にさしかかりました。ある月刊誌に寄稿するレポートと、いくつかの連載コラムと、そして近く刊行予定の書籍の執筆と──。その合間を縫って明日も1件、電話でのインタビューに答える約束があります。明日のメディアは、サンケイリビング新聞社の『シティリビング』誌で、お話しする内容は「LCCの安さの秘密とおトクな活用法」。担当記者の方が大阪から午前中に電話をくれると言っていました。

同じ「航空」のジャンルでも、特集するテーマはメディアによって各社各様です。私がいま進めている原稿のテーマも、またそれぞれ少しずつ違うので、しっかり頭を切り替えてインタビューに応じなければなりません。混乱したまま電話を受けたのでは、取材を依頼してきた記者の方々に申し訳ないですので。

S.Akimoto at 17:06|Permalink

2011年04月15日

ポスト原発

 
核分裂の際のエネルギーを利用する原子力発電は、発電するプロセスでCO2を排出しません。“推進派”の人たちはこれまで、その点を声高に唱えつづけてきました。原子力発電こそは地球温暖化を止める切り札なのだ、と。


原子力技術のすべてを私も否定はしません。ですが、やはり何よりも優先するべきは「安全」です。安全性を可能な限り100%に近づけ、それをみんなで確認してから、改めて原子力の利用法を考えるのでもいいのではないか? そんなことを言うと、じゃあ化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けてもいいのかという反論が巻き起こります。そして次に聞こえてくるのは、両方とも嫌だというなら、豊かで便利になった社会を逆戻りさせるしかないね──という声。

環境を汚しつづけるか、環境を守るためにリスクを受け入れるべきか? あるいは不便な生活を我慢するか? そんな三者択一の質問には、答えられません。極端すぎます。いま必要なのは、みんなで知恵を出し合うこと、知恵を出して行動を起こすことです。私が昨年来、取材を続けているソーラーインパルス・プロジェクトのリーダー、スイス人冒険家のベルトラン・ピカール氏〔写真〕はこう言いました。

「新しい特別なテクノロジーが誕生するのを待っている時間は、もう私たちにはありません。私たちがプロジェクトを通じて発信したいのは『いまある既存の技術だけでも、人類はやろうと思えばこんなことだってできるんだ』というメッセージです。太陽エネルギーだけで世界一周飛行を実現することで、私たちはそのことを証明したいんです」

枯渇することがなく、環境も汚さない自然エネルギーを、いま一度見直してみる時期なのかも知れません。そのひとつのきっかけになれば──と思い、これまで取材してきたソーラーインパルス・プロジェクトについて誠Styleでの連載『“飛行機と空と旅”の話』の記事としてまとめました。今日アップした前編ではプロジェクトの概要と現在までの取り組みについて、また来週アップする後編では二人のリーダーへのインタビューをお伝えします。

≫≫≫「太陽エネルギーで世界一周飛行を目指す、夢のソーラーインパルス・プロジェクト(前編)
≫≫≫「太陽エネルギーで世界一周飛行を目指す、夢のソーラーインパルス・プロジェクト(後編)

S.Akimoto at 10:25|Permalink

2011年04月07日

魔法のミルク

 
赤ちゃんに水道の水は飲ませちゃダメ! 原発事故の影響でそんな摂取制限が出されて以来、困っている人は本当に多いと思います。規制が解除された地域であっても、若いお母さんたちの心配は広がるばかり。私の身近にも2月で1歳になった子供をもつライター仲間がいて、きっと不安な日々を過ごしているのだろうと思うと、気が気ではありません。


そんな中、北欧フィンランドから“魔法のミルク”が被災地に届いたというニュースが先週入ってきました。これは“Tutteli Milk”という、お湯で溶く必要のない調整済みの紙パック入り乳児用ミルクです。東北地方などの現状を知った同国在住の日本人女性たちがネット上で支援を呼びかけ、3月29日と4月2日の2回に分けて計4,000個のパック入りミルクを日本へ送り届けました。

へえ、水を使わなくてもOKの乳児用ミルクなんてあるんだ。私も知らなかったのですが、これはフィンランドのほかアメリカやカナダでもわりとポピュラーな製品のようです。常温での長期保存が可能で、アメリカ在住の知人に問い合わせてみたら「このミルクでどの子供も健康に育っていますよ」と話していました。同様な製品を日本のメーカーでも開発製造するか、どこかの商社が代理店になって輸入販売すれば、赤ちゃんをもつ母親の心配も少しは解消されると思うのですが。

このミルクの日本への空輸で支援を買って出たのは、フィンランド航空〔写真〕でした。現地では第3便、第4便の準備も進み、第3便は昨日すでにヘルシンキを出発したそうです。ちなみにフィンランド航空の呼びかけで集まったマイル寄贈のポイントは、先週末で累計148万2,000ポイントに。3,000ポイントで毛布1枚と水5リットルなので、現時点で毛布494枚、水2,470リットル分に達しています。世界はひとつにつながっているんだな。そんなことをつぶやきながら、いまこのBlogを書き進めています。

S.Akimoto at 00:06|Permalink
Profile

秋本俊二(Shunji Akimoto)

作家/航空ジャーナリスト。東京都出身。学生時代に航空工学を専攻後、数回の海外生活を経て取材・文筆活動をスタート。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、テレビ・ラジオの解説者としても活動する。『これだけは知りたい旅客機の疑問100』『ボーイング787まるごと解説』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンスアイ新書)や『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)など著書多数。

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